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脳。この神秘的な存在。

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

(学生相手に書いたものを転載します)

現在、ディスカバリー・チャンネルのドキュメンタリーを吹き替え用に翻訳しています。要は、声優さんが読む台本を作っているのだと思ってください。

今回は脳の働きについてなので、「大脳新皮質」やら「視床下部」やら、あれこれ検索して翻訳しながら自分の訳に注釈を付けてます。

番組のナレーションって、必ずしも一般に言われている説明と一致するとは限らなくて、「あれ?」と思った部分はきちんと調べないといけないのです。

ある用語があって、その用語の中にA,B,Cの要素が含まれているのに、ナレーションではAだけを対象に語っている、なんてこともあります。

裏を取るってやつですね。

まあ、脳の切除写真とか見ながら「うーむ、これが灰白質で、新皮質の定義ってのはこれで、視床下部の位置はここで……」ってやってます。興味深いです。

ドキュメンタリーの中で、ご主人が脳卒中になってしまった女性が出てくるんだけど、ご主人は脳卒中で脳の感情をつかさどる部分が損傷してしまっているんです。

だから、体はマヒがあるけど、一応頭は働くし、会話も思考もとりあえずは出来る。でも、相手の気持ちに寄り添うとか、そういうことが一切できなくなってるんです。これは辛いな。

目の前に物理的に存在しているから、つい昔の、自分が知っている人として接してしまうけれど、その人物は実際にはもう戻ってこないんだ。ある意味で、亡くなってしまうよりも悲しいかもしれない。

そう考えると、我々がそれぞれ持っている「脳」ってすごく神秘的な存在だなと思いますよ。今も何となく頭をトントン叩いて「こん中にあるのかあ」なんて撫でまわしたりしてますが、この中に教師としてのいぬも、夫としてのいぬも、父親としてのいぬも、息子としてのいぬも、兄としてのいぬも、酔っ払いとしてのいぬも(笑)、すべて入っているわけかあ。

そうなると、「僕の存在=脳の存在」ということ?つまり、この1リットルあまりの物体が、僕という人間と定義されるわけ?

何かしっくりしない部分はあるけれど、理屈ではそうなるんだよね。

僕らの「心」というものも、結局は電気信号と化学物質のやり取りということになるのかな。

何か寂しい気もするね。

まあ、あれです。脈も絡もない話で恐縮ですが、翻訳の合間に、頭に浮かんだことをちょっとみんなに話したくなりました。

さてと、翻訳に戻ります。

Written by

記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

END