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日本語から日本語への通訳

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

日本人のコミュニケーションはもともとが内向きに発達してきたと言われています。お互いを知っている間柄、分かり合っている間柄の中でのコミュニケーションとして発達してきたわけです。

現在、英語の社内公用語化などということが叫ばれていますが、日本語でのコミュニケーションも、そろそろ「外向き」、つまり、お互いをあまり知らない、あまり理解しあっていない間柄のコミュニケーションを意識すべき時期に来ているのではないでしょうか。

そんなことを考えたのは、今年の東日本大震災がきっかけでした。

震災の際、情報を十分に入手できない外国人がたくさんいらっしゃったと聞いて、まず頭に浮かんだのが「では、英語のボランティア通訳サービスをしてはどうか」ということでしたが、被災した外国人の皆さんは、必ずしも英語が得意な方ばかりではないわけですね。

実際には通訳よりも、分かりやすい日本語を使うことで、問題のほとんどは解決したのだそうです。今年7月に神田外語大で行われた鳥飼先生の講演でも、「悉皆研修(しっかいけんしゅう)」などというお役所言葉が例として出てきましたが、ああいう言葉が「外向きの日本語」としては悪い例です。

通訳者はついつい、「言葉の壁があるなら、通訳を」と考えてしまいますが、通訳・翻訳を学んだ者こそ、よりユニバーサルな日本語の使い方を提唱できるのではないでしょうか。

つまり、language specialistの側面ではなく、communication specialistの側面をより強く押し出していくことで、より社会に貢献して行くべきなのではないかと思います。

そのような動きを通して、日本語そのものも変化して行くでしょう。しかし、それは大きな問題ではありません。そもそも純粋な日本語、和語とか大和言葉と呼ばれるものは、私たちもすでに使っていないわけで、中国から漢文脈が、明治に入ってからはヨーロッパ諸言語の影響を受けた欧文脈と呼ばれる影響があり、日本語は大きく変化しています。

今回は、漢文脈・欧文脈のような日本語のハードウェア的変化ではなく、「日本語の使い方」というソフトウェア的な変化が求められているのだということだと思います。

通訳者こそ、この局面で積極的役割が果たせるのではないでしょうか。通訳者としてそのような「新たな日本語の創造」にもかかわって行けたら、と考えています。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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