訳文を巡る攻防
はっ。いつの間にやらリレーブログのバトンが。月曜日にアップしなければいけないのに、今頃気が付く体たらくで申し訳ございません。
現在、某公共放送のラジオ番組に関わっているのですが、そのテキストの訳文を巡って、こんなメールのやりとりをしておりまして、ふと気が付くとこんなタイミングになってしまいました……というのが苦しい言い訳です。
完成した訳文は、テキスト8月号をご覧くださいませ。
<以下、引用です>
M様
(中略)
> ただ、もう一度よく読んでみたのですが、ピクトグラムの
> It is a pretty ancient form of written communication.は
> 「ものすごく昔からあるコミュニケーション方法なんだ」とありますが、
> 正確に訳すと
> 「書いたものによるコミュニケーションのかなり昔の形なんだ」という
> 意味ではないでしょうか?
「正確」という言葉の定義にもよりますが、英語を日本語に「一字一句置き換えれば」そのような訳文になると思います。
ただ、翻訳に関する私見を述べさせていただきますと、形式的等価、つまり「この訳語がこの単語に相当する」という「置き換え」「変換」ではなく、意味的等価、すなわちその英文が意図していることをくみ取り、形式ではなく文全体の意図が原文となるべく同じになるようにすることを、翻訳は目指すべきだと考えております。
例えば、Good morning.は、形式的等価ならば「良い朝」と訳すのが「正確」ですが、意味的等価の観点からは「おはよう(ございます)」と訳すのが「正確」ということになります。
もちろん、翻訳から離れて「創作」になってしまってはいけないのですが、
「書いたものによるコミュニケーションのかなり昔の形なんだ」
という文は、私個人の感覚からすると、日本語としてかなり自然さを失ってしまっているように思います。
英語は、日本語では動詞で表すところを名詞で表現することも多く、この英文も、たしかに「昔の形なんだ」とは言っていますが、これは日本語なら「この形は昔からあるんだ」とするのが一般的ではないでしょうか。
無生物主語などの訳出にも同じことが言えますね。
Five minutes walk brought us to the station.
という文は、確かに一語一語置き換えれば、
「5分間の歩行は我々を駅に連れて行った」
と訳すのが「正確」だと思います。
しかしやはり、「翻訳」としては、原文の意図するメッセージをくみ取り、それを訳文である日本語で効果的に再表現することを目標に、例えば
「5分歩くと駅に着いた」
と訳すのが良いのではないか、というのが私の考えです。
この英文にしても、男性が日本語で同じことを話すとしたら、どんな語り口でどう語るか。そんなことを想定しての訳文ですので、英文和訳的な「word for word」の訳文とは、どうしても違ってきてしまう点、ご了承いただければ幸いです。
取り急ぎ
いぬ
(で、数通のやり取りがあった後に……)
いえいえ、細かいことを申し上げまして恐縮です。元々が放送通訳者と映像翻訳者(吹き替え)なので、「日本語として自然かどうか」でかなり厳しくチェックされる癖がついてしまっております。職業的防御反応と申しますか、何と申しますか。
ただ、たまに「自然ではあるけれど、誤訳!」という失態もありますので、今後ともお手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします。
いぬ