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「子供の日」には親バカぶりを・・・

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

BBCのRadio4(日本で言うと、NHKラジオ第2放送みたいな位置づけでしょうか)のPodcastに、From Our Own Correspondentという良質の番組がありまして、毎週愛聴しています。

先日サイト内をフラフラのぞいていたところ、ファーガル・キーン記者が1996年に香港特派員だった時のリポート、Letter to Danielを見つけました。これが個人的に実にツボにはまり、MP3ファイルに録音して、じっくり聞いたりシャドウイングしたりして味わっています。

父親になったばかりのキーン特派員が、夜明けを迎えつつある香港のアパートで、ようやく寝付いた息子を左腕に抱え、右手一本でキーボードを叩いて書いた「息子への手紙」なのですが、自分が特派員として見てきた子供たちの苦しむ姿を、腕の中の息子を見つつ思い出したり、アルコール依存症だった自分の父親との思い出なども絡めて語りかけたりしていて、国際問題から家族の絆まで、様々なことを考えさせる内容です。最後の一節を初めて読んだ時は、思わず「うっ・・・」と、こみ上げるものがありました。

・・・いや、何かダメですねえ。もうちょっと客観的に「良さ」をお伝えしないとと思うんですが、力及ばず済みません。まあ、御用とお急ぎでない方は、とにかくお聞きになって下さい。一番最後にリンクを張っておきます。

さて、このリポートが放送されたちょうどその年、私はイギリスに留学することになりました。その時はまさか、その後イギリスで働くことになるとは思わなかったのですが、いろいろ幸運が重なりまして、約2年後にBBCの放送通訳者として働くことになったのです。キーン特派員のリポートも何本も通訳した覚えがあります。

個人的な話で恐縮ですが、その職場で妻と出会って結婚。(「俺、多分結婚しないと思う」と両親に言ってから半年も経たないうちに「実は・・・」という手紙を書く羽目になり、何となくばつが悪かったです。)そしてその2年後に息子を授かりました。

生まれてからもすったもんだがありましたが、実は息子が生まれる前の段階から結構バタバタしておりまして、と言うのも、実にお恥ずかしい話ですが、私が日本の運転免許をなくしてしまったんです。

結婚して一緒に暮らすことになったときの引越しで、何かにまぎれてしまったのだと思うのですが、どこをどうひっくり返しても出て来ません。中古ですが車まで買ったのに、当時ペーパードライバーだった妻しか運転できないという事態に陥ってしまいました。

「もし明日陣痛が起きたら、どうするの!」と、至極もっともな理由でお怒りの妻に、「えーと、タクシー・・・かな?」と叱られたセントバーナードのような表情で答えてみても、問題は根本的には解決するわけではなく、結局イギリスで免許を取り直すことになったのでした。

学科試験はあっさりパスして仮免許をもらい、これで本免許を持っている妻と一緒なら、一応運転が出来るようになりました。しかし、このままでは病院までの片道切符。出産を見届けた後は、車は病院に置いて、歩いて帰るしかありません。

出産予定日は8月あたまだったのですが、結局7月半ばに無事テストに合格して本免許を取得することが出来ました。その週末にドライブに行った時の安堵感は、道々の景色の美しさとともに今でも忘れられません。

そんなこんなで慌しくも順調に準備は進み、8月10日に陣痛が来た妻を車に乗せて病院に向かいました。イギリスは公立病院で出産する場合、費用は無料です。「素晴らしい!」と思った方、その判断はもうちょっとだけ保留にしておいて下さい。

病院に到着すると、ちょうど出産が重なる日だったようで、陣痛の間隔を聞かれた後、「まだまだね」と言われ、準備室のような小部屋に1時間ほど放置されました。普段辛そうな様子はめったに見せない妻が、痛みに顔をゆがめているのに、何も出来ない。これは見守るほうも結構大変でした。

その後ようやく分娩室に移ったのですが、これがボロボロ。分娩台(と言うんでしたっけ?)の背もたれの部分からは、中の綿がはみ出ているし、室内の内装も設備も、なんとなーく1960年代テイストが漂っています。

極めつけは、陣痛モニターを見た助産師さんが、「うーん、もうちょっとね。それじゃ、あなたちょっと見てて」と私の肩を叩くと別の分娩室での出産を手助けするために部屋を出て行ってしまったことです。

ち、ちょっとちょっとちょっとちょっと!!素人ですよ、こっちは!

などと動揺している暇も有らばこそ、助産師さんはあっという間に姿を消してしまいました。うめき声を上げる妻と、たまに「ピーッ!」とか耳障りな音を発生して動揺を増幅する陣痛モニターを前に、オロオロと妻の手を握っていたのを覚えています。

やがて、いよいよ出産の時がやってきたのですが、件の助産師さんが、「じゃ、あなた左足持って」と言い出します。

「・・・?」と思いつつも妻の左足を抱えると、助産師さんは右足を抱えて、「PUSH!!(いきんで!!)」

図らずも出産戦線の最前線に投入されることになってしまいました。もうこうなったら、何とか乗り切るしかありません。一緒になって、「PUSH!!」「頭が見えたぞ!頑張れ!」「頭が出た!もうちょっと!」などと奮闘することしばし。その間も「あ、両親学級でやったとおりだなあ、ちゃんと体を回転させて骨盤を抜けるんだ」などと妙に冷静に観察していたのを覚えています。

どれぐらい経ったでしょうか。後から考えてみると、数十分後だと思うのですが、

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という感じで息子がこの世に生まれ出てきました。妻のお腹の上に乗せられて、元気な産声を上げています。

「おめでとうございます。男の子ですね。へその緒、切ります?」とハサミを持たされて、ジョキジョキ。何というか、ゴムホースのような、柔らかいもののかなり強靭なものを切るような感覚で、「母と子は固い絆で結ばれているものなんだなあ」としみじみ感じました。

へその緒の中の血は、臍帯血と言って、白血病の治療などに使われるんですね。助産師さんは血を保存するために、へその緒の端っこをクリップで端っこを留めておいたのですが、その留め方が甘かった。「あらららら?」なんて言っているうちに、へその緒から飛び出してきた血が、私のズボンにべったりついてしまいました。

でも、こっちは子供が生まれてハイになってるものですから、「大丈夫大丈夫!」と鷹揚に手を振って、双方の両親に電話するために出産病棟を出たのでした。

8月10日。ほとんどの店や自家用車

にクーラーがついていないほど涼しいイギリスですが、夏の盛りとあって、さすがに太陽がギラギラ照り付けて暑く、病棟の玄関の白いコンクリートの床に、屋根の影がクッキリとついていました。湿度の関係か、日本の秋空のように高い空には、ガトウィック空港かヒースロー空港からと思しき飛行機が描いた飛行機雲が、格子模様を描いています。

携帯電話で日本に連絡し終わり、意気揚々と病棟に引き上げてくると、お医者さんや看護士さんたちが、一斉にこちらを注目しています。「ああ、東洋人は珍しいんだろうな」などと暢気に構えていたら、お医者さんの1人がツカツカと歩み寄ってきて、深刻な表情で尋ねました。

「どうしました?」
「いやあ、息子がついさっき生まれましてねえ」
「いや、そうじゃなく、その血は?」
「へ?」

そうです、先ほど臍帯血をズボンに浴びたのを完全に失念していました。傍から見たら、「ズボンを朱に染めて、上機嫌な笑顔の、謎の東洋人」という、怪しさ大爆発の人物だったのでした。慌てて事情を説明して妻の待つ部屋に向かいます。息子は半分寝ながら、おっぱいを吸っていました。

さて、病室に移って夕食となったのですが、ここでもハプニングが。事前に何が食べたいか注文をとっていたはずなのに、出てきたのは全然違うものだったのです。しかもメニューは、カレー。妻はげんなりしてほとんど箸(スプーン)をつけず、それではと私が一口食べたのですが・・・。ううっ、ま、まずい。大抵のものは美味しくいただけてしまう便利な舌をもつ私も、あれはノーサンキューでした。

食事の件について尋ねると、「ああ、あれ?とりあえずアンケートをとっただけで、注文じゃないの」とのこと。何なんですかっ、それはっ!

食器を返しに行くと、さっきまでいたはずの、隣の部屋の人が姿を消しています。確か妻の後に入室したと思っていたのに。そう思って看護士さんに尋ねると、「帰りました」とのこと。イギリスでは「出産は病気ではない」という考えなので、出産後1日か2日で家に帰されます。もちろん自分の意思で帰宅するのも自由で、帰宅した後は毎日お医者さんと看護士さんが自宅まで診察に来てくれるのです。

妻の場合、結局3日間入院してから帰宅し、自宅で診察を受けました。ただ、その診察も、何となくアバウトで、息子に黄疸が出ているんじゃないかと言った後、「大丈夫。あそこの芝生の上にちょっと転がして、日光浴でもさせたら良い色になるんじゃない?」と、どこまで信じていいのか分からないようなアドバイスをくれたりしましたっけ。

さて、元気に生まれてきた息子ですが、何しろ初めての事だらけ。眠りにつくのだって慣れていません。眠りに落ちる感覚がイヤなのか、泣いて泣いて寝付かず、結局私が何十分も抱っこしてようやくウツラウツラできるという状態が続きました。ようやく寝たと思って、そーっとベッドに寝かせると、実に敏感に感知して「ふんぎゃー」、それではと覚悟を決めて、抱っこしたままソファーに腰を下ろしてこちらも寝ていると、お腹がすいて「ふんぎゃー」。

寝ぼけ眼の妻をたたき起こしておっぱいをあげてもらうあいだ、「お腹すいた」という妻にりんごなどをむいて持っていったり、ご多分に漏れずクーラーがなかったので、氷を洗面器に入れて寝室にもって行ってみたり、授乳の時の姿勢が安定しなくて大変そうなので、電話帳を数冊ガムテープで縛った足置きを作ったり、慣れない手つきでオムツを替えれば、変えている途中で第2弾をされて「振り出しに戻る」状態になったり、ようやく無事におむつ交換が終わったと思ったら、付け方が甘くて隙間からもれちゃったり・・・。

キーン特派員の

Since you’ve arrived, days have melted into night and back again and we are learning a new grammar, a long sentence whose punctuation marks are feeding and winding and nappy changing and these occasional moments of quiet.

というくだりは、読んでいて「そうそうそうそう!まさにそういう感じ!」と激しくうなずいてしまいました。こちらも「親業」には慣れていませんから、どのあたりが重点で、どのあたりは適当でいいのかが分かりません。2人ともヨレヨレになりながら日々を送っていました。

そうこうするうちに、息子は生後1ヶ月を迎えました。相変わらず夜はろくに寝てくれず、睡眠時間は正味2〜3時間で出勤という状態でした。

生誕1ヶ月のお祝いをした翌日も、放送の準備をしている途中で「瞬間居眠り」をしたことに気付かず、本番で自分の原稿を「アメリカのブッシュ大統領は・・・」と読み上げつつページをめくったら白紙で、頭の中も真っ白になりながら、慌てて同時通訳に切り替えるという体たらくでした。

ようやくお昼休みになり、ラウンドの間のボクサーのような気分でサンドイッチをかじっていると、編集長が通訳部屋に入ってきて言います。

「何か、ワールド・トレード・センターで火事が起きたみたい。休憩中悪いけど、今すぐ通訳に入って」

慌ててマイクのスイッチを入れたのが、2001年9月11日に起きた「同時多発テロ」の報道の始まりでした。それから数時間のことは、あまりにめまぐるしくてよく覚えていません。

2機目が突入したときに同時通訳をしていたのと、崩壊するビルから人のようなものがこぼれるのが見えたような気がしたのは、何となく覚えていますが、とにかく無我夢中でした。

幼い頃旅行でニューヨークの叔父を尋ねたとき、世界貿易センタービルの屋上にも上がったことがあって、「エンパイヤ・ステート・ビルと比べると、殺風景だなあ」と思ったのを覚えていますが、あの場所が崩れ去って巨大な土煙を上げているのかと思うと、自分の歴史の一部も一緒に崩れ去ったような気がして、実に嫌な虚無感を感じました。

すっかり眠気も覚めて家路につき、通勤電車の車窓に流れる景色を見ながら思ったのは、「息子の生きる世の中は、一体どうなってしまうんだろう」ということでした。

何とかしなくてはいけない。自分の出来るレベルで、世の中を少しでも良いものにしていかなくてはいけない、と思いました。自分にできることと言ったら、まずは日本国外のニュースを通訳して、日本の視聴者の皆さんに知ってもらうことです。どんなアクションを起こすにせよ、「知ってもらう」ことが第一歩ですから。そんなことが、放送通訳者としての私の根っこに、今もあると思います。

スーパーで食材を調達して、夕食を作っていると、息子が「夕暮れ泣き」でぐずり始めました。まな板を洗いながらため息

つきつつ、それでも「お父さんは、頑張るからな」と思いましたっけ。

そうは言っても怒ったり、泣いたり、笑ったり、いろんなことがありました。息子にとって「良い親父」でありたいとは思いますが、それほど器用なわけではないですから、七転八倒する姿をさらすこと含め、ありのまま正面からぶつかって行くしかなかったわけです。

振り返っても「やりすぎだった」とか「もう少しちゃんとしておけば」と思うことは山のようにありますし、これからも親子の付き合いが長くなる分、そんな思いは積み重なっていくんでしょうね。でも、根っこの部分の絆さえしっかりしていれば、やがては「まあ、どちらでも良かったんだな」と思う日が来るような気がします。

息子は4月から小学校に入学しました。読書と工作と、4月から始めた空手が大好きな子です。親の欲目なのですが、とても優しくて聡明な、良い子に育ったと思います。

キーンさんの息子さんと同じくHe now has a lovely yonger sister.で、こちらは今週の金曜日がお誕生日。こちらも元気で明るい良い子です。

昨日は一家で日帰りバス旅行に行ってきたのですが、遊びつかれてぐっすり寝ている姿を見ながら、「どこの親も、子供たちが幸せに生きる世界を作ろうと頑張るんだろうなあ」と思いました。

親バカを通り過ぎて、バカ親なところまでカミングアウトしてしまいました。お後がよろしいようで。

追記

興味のある方、FOOCのサイトは

http://www.bbc.co.uk/radio/podcasts/fooc/

です。また、Letter to Danielは以下のサイト

http://news.bbc.co.uk/1/hi/programmes/
from_our_own_correspondent/41784.stm

で読むことが出来ます。ただ、ストリーミング再生用のリンクが、少なくとも私のPCでは上手く接続できないようです。でも、大丈夫。Letter to Danielの後日談(こちらも実に良い話で、文学作品を読んだような味わいがあります)のサイトにあるリンクから再生すると、ちゃんと聴けますよ。惜しむらくは、この後日談の音声が聴けないこと。FOOCで2005年に放送されたようですから、音源そのものはあるはずなんですけれどね。こちらのURLは

http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/
from_our_own_correspondent/4278450.stm

です。

Written by

記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

END