講演会とコンサートとワークショップと
9月19日、朝日カルチャーセンターで行なわれた指揮者の佐渡裕さんと脳科学者の茂木健一郎さんの対談を聞きました。印象に残ったことを並べてみます。
佐渡さん
・「指揮者は時計である」というけれど、時計の本質は「狂わない」ということ以外にあるのではないか。
・自分は高校入学時代に、当時出始めのデジタル時計を買ってもらった。デジタル時計は機械式の時計と比べて「正確」ではある。
・当時の実家にあった柱時計は、1日5分ぐらいは平気で遅れる。毎晩7時の時報などであわせていたが、それで良いという存在感。誰も買い換えようなどとは言わない。
・「正確である」というのは時計としてMUSTであり、指揮者もそれは同じ。しかし「正確なだけ」で良いのか。
・バーンスタインは、一生懸命自分の考えを他人に伝えようとしていた。バースタインの前で指揮をしたとき「モノを整理することは誰でも出来る。指揮台には、『創造』出来る人が上るべきだ」と手を叩かれた。
・ワインを飲んだことが無いのに、生涯に一度だけヴィンテージワインを飲むと言うのはおかしい。感動はもっと身近にある。
・クラシックのコンサートを、そのような存在にするのではなく、様々な「感動するチャンネル」の一つにクラシックがあるようにするべき。
茂木さん
・愛することを知らないと感動できない。以前、聞くとゾクッとする(chillを感じる)曲を持って音楽家に集まってもらった。脳を分析するとその興奮がハッキリ目で見える。ところがそのような曲でも、きちんと聴いていない人に聞かせると無反応。
・プラントンは芸術には否定的だった。これは逆に芸術の持つ魅力(魔力)を分かっていたからではないか。
佐渡さん
・バーンスタインの演奏で、静かにゆったり流れる部分などで、だんだん聴衆のビートが消えて行くのが分かるときがある。音だけが残るその瞬間が「永遠に続いて欲しい」と思った。
茂木さん
・それはまさに、「ファウスト」に出てくる「時間よとまれ、お前は美しい」という言葉だ。
佐渡さん
・指揮者というのは、建築家というか、現場監督のようなものではないか。
・建築家は、何も無い状態で、「この建物は朝日を浴びたらこう見える、冬にはこう見える、この角度からはこう見える」と頭に描く。そしてそれを現実の建築物として形作って行く。指揮者もそういうものなのではないか。
茂木さん
・確かにさっきから佐渡さんは、運動性言語(動作を描写するような、何かを作るときの言葉)で語っている。自分が何かを受け止めるときの言葉である感覚性言語(評論家などが良く使う)も使いこなせる上で、運動性言語で語っている。
・Passion(情熱)だけは教えられない。
佐渡さん
・かつて月面宙返りのような技は出来ないと言われていた。ところが出来るとなると、みんなやりだす。自分としては、指揮で「月面宙返り」のようなことが出来ないかと思う。自分がそれをやる、1人目になれないか。
・子供の頃に夢中になったことを忘れるのが、イヤだ。
・バーンスタインが亡くなってから、人づてに自分についての言葉を聞いた。曰く、「俺はジャガイモを見つけた。今は泥がついているが、やがて泥が落ちれば、誰もが日常的に食べるような音楽を作る人間になる」
・それを聞いてから、自分はクラシックを広めていくという使命があると思っている。
・オーケストラの練習は、午前3時間午後3時間を2日で本番というパターンが多く、ベルリン・フィルなどではもっと短い。しかし、短時間で本番という形態が最善のものとは思わない。
・とは言え、時間をかければ良いというわけではない。時間をかけて誠実にリハーサルをやって、本番のパフォーマンスがどうということもない、ということもある。
その他にもいろいろ面白いことがあったのですが、メモに残っているのはこんなところです。
その後の質疑応答の時間で、妻が面白い質問をしました。
「指揮者は楽譜に書かれている作曲者のメッセージを汲み取って演奏するわけだが、その際何か指揮者が付け加えている部分はあるのか?」という内容です。
それに対する佐渡さんの答えも実に興味深いものでした。
・メッセージを汲み取って、それを元に「創造」するのが楽しい。
・もちろんやりすぎて恥ずかしい時はあるが、指揮者なら、小澤征爾のような大家も含めて全員やっていることだろうと思う。
・楽譜などは、各出版社のものを揃えた上で、原典をファックスしてもらう。印刷だといつも同じ形に過ぎないクレッシェンドの記号が、原典を見ると力が入っていたり赤字で書いてあったりするなど、作曲者の意図をよく伝えていることが多い。
帰りに新宿のスペイン料理店でスパニッシュオムレツを肴に妻とサングリアを飲みつつ、「やはり通訳者も、コミュニケーションに積極的に介入するような関わり方をしなくちゃね」などと興奮して話し合ってしまいました。
明けて20日。午後から講談師の国本武春さんのコンサート(・・・と呼んだら良いのでしょうか)とワークショップに行ってきました。
http://takeharudo.music.coocan.jp/
この国本さん、そもそも8月にサントリーホールで行なわれたファミリー向けクラシックコンサートにゲスト出演されていたのですが、その話芸にすっかり虜になり、今日の出演のことを調べ上げてチケットを購入したのでした。
改めて浪曲というものを聞いて見ましたが、これが実に面白い。私の感覚だと、歌舞伎と落語のちょうど中間という表現が一番ピッタリ来るのですが、まず聞いていて筋がちゃんと分かります。それに加えて言葉や節回しの妙もちゃんと味わえるんですね。笑わせて泣かせて、実に良い。
舞台装置などは無く、伴奏に三味線が一丁あるだけなのですが、客席にいて浪曲の世界に浸っていると、無限と思わせるような表現力を感じます。
先日、佐藤良明先生の「これが東大の授業ですか」を読んだ時に書いてあったことを思い出しました。ハリウッド映画のように徹底的に作りこんだものは、マクルーハン的には「ホット」というのだそうです。それに対して、聴衆自身が頭の中で音の隙間を埋めていくようなクール・ジャズなどは「クール」なのだとか。
だとすると、歌舞伎は恐らく「ホット」ですね。能に比べれば「ホット」とは言え、浪曲は間違いなく「クール」なのではないでしょうか。油絵と墨絵の違いといった印象です。
実は、大学時代の6年間(2年の留年を含みます。トホホ)、筝曲部で琴古流の尺八を吹
ていました。お箏や三味線(「三弦」と呼んでいました)との合奏もやっていたので、三味線の響きには実に懐かしいものがあります。そんなこともあって、暫くの間、音に酔いしれていました。
続いて、着物からカジュアルな洋服に着替えての第2部ワークショップでは、ホール内から有志を募って、三味線を5分で弾けるようにして下さいました。
とは言っても、もちろん本格的な奏法をマスターしたというわけではないのですが、三味線を広めたいと思っている(自称「シャミーマン」だそうです)国本さんが、初心者でもとっつきやすいように様々な工夫を凝らしています。
・普通三味線は弦を1本ずつ弾くが、3本まとめて弾くことにする
・撥を使わず、ギターのピックを使う
・浪曲的な歌い方ではなく、地声で歌う
という工夫なのですが、これを聞いていて英語教育にも応用できるなあと考えていました。
もちろん、正統派の方々からは「あんなもの三味線じゃない」と言われることもあるでしょう。通訳学会で翻訳英文法に対して「これを最終プロダクトとされたら問題だ」という声が上がったのと同じです。
しかし、とにかく触れて知ってもらわない限りは、いずれ三味線は廃れてしまいます。そこで一気にああいう形で間口を広げると言うわけですね。
そして、ここが肝心ですが、当然の話、翻訳英文法と同じく、あれが最終到達点ではないはずです。本気でやりたいと言う方には、きちんとイロハから(恐らくは厳しく)教えてくださるのでしょう。
同じように英語のトレーニングにおいても、いきなり「スパルタ・スポ根」路線で、「おりゃー!シャドーイング100回!」とやってしまっては、誰も寄り付きません(いや、さすがにそんなやり方はしていませんが、あくまで極端な例えです)。何か「あー楽しい」と思わせるトレーニングをやって十分に引き込んだ後で、「楽しい」だけで終わらずに、もう少し実質的なトレーニングの比率を徐々に増やしていく。そんなやり方が出来ればなと思います。
思えば、大学2年の時に講道館で柔道を習い始めた時も、道着の着方を教わった後2人一組で組まされて、お互いの襟と袖を持ち合って「グルグルと、ダンスみたいに回って〜」などと言われて、「やけにソフトな教え方だなー」と思った覚えがありますし、今習っている空手にしても、「最初は見よう見まねで良いですから。自由に突き蹴りしてきて良いですよ。思い切り当ててみて下さい」と先輩や師範に、にこやかに言われましたね。
ようやく柔道着の帯の締め方を習った時点で「正しいやり方はこう。正式にはこう」などとこと細か〜く言われたら、果たして続いたかどうか(ハッ。しかし、子供に注意するときの私は、正にそんなイヤ〜な父親かも・・・)。筝曲部が結構そういう感じで、反発を覚えていた時期だったのです。
そう言いつつも、大学時代は、「春の海」をフルートとハープで演奏されたりするのが大嫌いで、「あんなもの、『春の海』じゃない!」と1人でプリプリしてましたっけ。
そうそう、こんなこともありました。イギリスにいた頃、筝曲部の後輩の松本君(箏パート)がCDデビューをしたと聞いて、おめでとうメッセージを送ったところ、わざわざCDを送ってくれました。で、その内容が、個人的にはかなり洋楽的な印象だったんです。
覚えのある方もいらっしゃるかと思うのですが、海外に住んでいると妙にナショナリスティックな気分になることがありまして、当時も心がそんなモードでした。それで、恩をあだで返すと言うか、「せっかくの和楽器なのに、洋楽器の土俵で洋楽器のマネをすることに意味はあるのか?」みたいな、返す返すも失礼な感想を送ってしまいました。その後も演奏家として活躍している松本君、あの時は本当にゴメン。
http://www.kotoprogressive.net/
まあ、そんなこんなの2日間。会場までの行き帰りに読んでいた、第2次世界大戦当時の補給戦に関する本と、リビアからの亡命者が書いた自伝的小説の内容などとともに、様々な印象やイメージが頭の中で渦巻いています。何とか使えるような形にして取り出して、自分の生活や仕事に生かしていければ良いのですが。