BLOG&NEWS

スタートは何度切っても良いものです

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

R大学の通訳の授業で、なかなか良い雰囲気が出てきました。授業では日英・英日の逐次通訳に取り組ませているのですが、シャドウイングや音読や単語チェックをした後、いきなり通訳学校式に学生を指名して通訳するのではなく、その準備段階として学生同士で少人数グループに分けて通訳セッションを行なっています。

通訳につかう日本語や英語のスクリプトを1人が1段落ほど音読したら、次の人がそれを通訳し、それが終わったら全員で訳出についてコメントを交し合い、また次の人がその先を音読して別の人が通訳するというわけです。コメントを出してディスカッションをする際に、一つ大まかな指針を提示しています。それは「聞き手を意識する」ということです。

通訳はサービス業ですから、肝心なのはお客様(聞き手)のお役に立てるかどうかです。ということは、通訳者が一つの言語を別の言語に「処理」することだけに専念して、その処理された言語を受け取る人のことを失念するようなことがあってはならないと思っています。料理で言えば、盛り付けに当たるでしょうか。腕の良い板前さんが、良い材料を使って良い仕事をしたとしても、学食の食器に煮物も焼き物も一緒くたに盛り付けて出してしまっては台無しです。厳しい言い方をすれば、通訳者の「自己満足」に終始してはならないということだと思います。

この視点を取り入れるのは、学生さんにとってはなかなか新鮮らしく、ディスカッションをしていると、一人一人がクライアントの立場から、または日本語や英語の使用者の立場からなかなか鋭いことを言っています。私1人があがいてもどうにも上手く教えられなかったことを、学生さんたちが一つ一つ自力で見つけているのです。ディスカッションのヒントを出しつつ机間巡視をしながら、実に感心しました。

やはり人間、「教わったこと」は右から左に抜けても、自分で「発見したこと」「身につけたこと」は忘れないですね。今までの指名して訳出させてコメントというやり方だと、学生さんによっては「とても出来ない」と絶望してしまうこともありました。教師の仕事は「絶望させる」ことではないはずだ、とは思うものの、それ以外の方法も思いつかずに暗中模索の状態でしたが、9月の通訳翻訳学会での発表にヒントを得たのです。今のところ大当たりで、ホッとしています。

そんな授業があった日の夜、妻と一緒に「新宿・歌声喫茶の青春」という音楽劇を見に行ってきました。実在した「灯」という歌声喫茶をモデルにした劇です。これが実に面白かった。役者さん一人一人がハマリ役だったのももちろんのことなのですが、当時の世相と言いますか、「歌」が社会においてどれだけ大きな役割を果たしていたのかがよく分かりました。

現在どれだけヒットした歌であっても、当時の歌が持っていた社会に対するインパクトとは比べものにならないのですね。それは映画でも同じだと思います。そして、「歌」にしても「映画」にしても「文学」にしても「英会話」にしても、社会に対する影響力という点で、昔日の面影はないのだなあとも思いました。

マッカーシー旋風が吹き荒れる中で労働歌を歌う事がどんなことか、今の私には歴史的な記述としてしか知ることは出来ません。その場に居合わせた人だけが「肌」で感じ取ることが出来たのだと思います。モーツァルトが「異端」だったように、「ジャズは不良の音楽だ」と本気で言われていた時代があったように、かつて担わされていた役割の重みは、もはやなくなっているのでしょう。もちろんだからと言って、芸術としての価値までがなくなるわけではありませんが、かつては「歌」でしか切り開けない時代の最先端があって、その拠点としての「歌声喫茶」があったのだな、と思います。

あの劇に惹かれたのは個人的な郷愁もありました。私の家では小さい頃から良く歌を歌っていて、学校で習った歌を歌っていると父や母がハモって合唱になることが良くありました。父や母の職場の方を招いてパーティーをやることもよくあって、その際にも私や弟の使い古した音楽の教科書が即席の「歌本」になっていたのです。みんなで歌を歌っていると、不思議な一体感のようなものを感じて、歌は大好きでした。英語を覚えたのもいわゆるオールディーズと言われるアメリカンポップスが大きな要因です。

劇は観客参加型で、舞台セットに映し出された歌詞を見ながら様々な歌を歌いました。それが昔のホームパーティーやら、サマースクールのキャンプファイヤーやら、そんな懐かしい思いと結びついて、あっという間の3時間だったのです。

いかに「歌声喫茶」を根付かせるかというマーケティングの話し合いは、英語の授業における生徒の巻き込み方ともある意味で通じるものがあって、その部分は教員としての視点で参考資料として見ている自分に気付いて、ちょっと苦笑したりもしましたが。

さて、今週は何だか仕事が重なってしまい、寝不足でヘロヘロになりながら、ゴングに救われるボクサーのように週末に突入。日曜日の「題名のない音楽会」は司会の佐渡裕さんがゲストに松岡修造さんを迎えるということで、ユニークな取り合わせだなあと楽しみにしていました。印象的だった言葉をいくつか抜書きします。

(子供たちによって編成されたオケに対して、本気で怒ったことは?との質問に対し)
佐渡さん
・演奏ミスは、仕方がないと思う。しかし、演奏会の後、お礼を言わなかった時は本当に起こった。ステージに上がる自分たちを支えている人たちがいることを意識しないといけない。
松岡さん
・失敗は大歓迎だ。失敗はダメと言ったら、小さくまとまってしまう。
・子供は見抜く。こちらが本気でないと、いろんな意味で「だまし」が入って来る。
・緊張したときには、まず力を入れる。抜くときに緊張も抜ける。

そんな番組を見た後に、子供たちを連れて、近所の公園に。暫くすると妻がやってきてタッチ交代して、私は前々から楽しみにしていた、英語カラオケのサークルの定例会に出発しました。

その道々読んでいたのが、木曜日にNHKでシフトに入ったときに買った岩村圭南さんの「英語をめぐる冒険」です。これは正に「冒険譚」と言うべき内容で、岩村さんの英語学習の足跡をたどるものだったのですが、いやあ、やはり栴檀は若葉より芳しと言いますけれども、若い頃から実に面白くも的確な努力を積み重ねてらっしゃいます。

いや、サラリと言いましたが、この「努力の積み重ね」が半端ではないんです。しかも、決して「苦行」にしていない

そうだったらここまで続かなかったでしょう。壁に行き当たるたびに、どこまでもポジティブにエキサイティングに、しかし断固たる決意を込めたトレーニングを行なってそれを打破しているのです。

「職業柄、英語の上達法についてよく聞かれます。そのときは、決まって日々の練習の大切さを強調します。それを聞いた相手は、少し不満顔。なぜなら努力以外の別の何か、秘訣とでもいうべきでしょうか、そういうものを求めているからなのです。だからと言って、私には伝授できるような秘訣などありません。」(P.214)

という箇所などは、私も同じように感じていて、学生からこの手の質問があるたびに内心ため息をついていたのですが、この本を読んでいて「いや、岩村先生、やはりありますよ」と、ふと思いました。

あれほどの努力の原動力となった、英語への憧れと言うか執着と言うか愛情と言うか、そう言ったものこそが、岩村先生があそこまで英語を上達させた「秘訣」ではないでしょうか。その観点から言うと、英語への関わり方は人それぞれでしょうから、10人いたら10通りの「秘訣」が、一人一人の中に埋まっていて、しかもその秘訣は本人にしか掘り出せない、ということになります。私の場合はどうなのかな・・・などと考えながら読了し、続いて「新宿・歌声喫茶の青春」を見た際に会場で買った、原作本の「歌声喫茶『灯』の青春」(丸山明日果 著)を読み始めました。

「わたしは六十四歳で、生活がかかってないにも関わらず、真剣。未来あるあなたが不真面目ってどういうこと?ま、何だかんだ言っても豊かな世の中だから、きっと真剣になる必要もないのね。いいんじゃない、それに身をゆだねておけば」(P.14)

いきなり頭を殴られたような気分になりました。著者の母親にして、元「灯」の歌唱指導者だった里矢さんの言葉です。

久々にパーッと楽しもうと思っていたのですが、少々考え込みつつ本を閉じて電車を降り、今日の会場であるカラオケ店に入りました。集まったのは十数人で、50代以降の方が多く、40前の私はかなりの若手の部類に入ります。

1次会は1970年代までの歌という縛りがあり、別に日本語の歌でも良いのですが、皆さん英語の歌が続きます。私はプレスリーとジョニー・ティロットソン、トム・ジョーンズにジョン・デンバーと歌いながら、女性メンバーのご協力を得て「いつでも夢を」も歌ってみました。

この会の良い所はみなさん歌うのも聞くのも好きで、他の人が歌っている時も楽しそうに手拍子したり、合いの手を入れたり、ハモったりすることです。みんなで一緒に歌うこともあります。

ノリのいい曲を大合唱していると、「ああ、昔、こういうことがあったなあ」と思ったり、「歌声喫茶の雰囲気って、こんな感じだったのかなあ」と思ったりしました。

2次会は縛りがなくなるので自由に歌えるのですが、前回参加したときにシャレで嘉門達夫を歌ったらウケてしまい、今回もリクエストがあったので「ハンバーガー・ショップ」と「鼻から牛乳」を歌っておきました。英語の歌を歌ったときよりも反応が良いのは、何だか複雑な気分でしたが。

まあ、大学時代に筝曲部にいたときにも、似たようなことがありました。三味線パートの後輩をたきつけ、大学祭にクラブとして出店した和風喫茶の中で、尺八と三味線で「踊るポンポコリン」を演奏したのです。本来の筝曲の演奏よりウケが良かったのですが、「お前は尺八パートじゃない。イロモノパートだ!」と先輩に怒られてしまいましたっけ。

帰りの車中でも「歌声喫茶・・・」を読み続け、最寄り駅で降りた後はそのままガード下の居酒屋に直行して生グレープフルーツサワーを飲みつつ読み進めました。

「人は、生活に追われるうちに、本当の自分を見失っていく。それはそれで幸せなことなのかもしれない。でも、どんな時でも見つめ続けている人だっている。わたしも普通に生きているけど、その中で、本当にこれでいいのかって問い続けている。私はそこで嘘がつけないのよ。自分に問いかけてみて、怠けて生きてますって言うときほど、辛いことはない。だから自分の中にいる本当の自分と、戦い続けなければならない。それをしたところで、その先になにが待っているのかはわからないんだけどね。」(P.131)

頭がしびれたような気がするのは、アルコールのせいばかりではないようです。家までの道を歩きながら、メモ帳にいくつか単語を書き付けてみました。

英語。歌。音楽。居場所。

かつて、「英語を学べば世界が開ける」と誰もが思っていた時代がありました。そして、「通訳者になれれば、英語が極められる」と思っていた青年がいました。

時は流れ、英語をある程度使いこなせるのは当然のこととなり、青年は通訳者になりました。しかし、一つ山を越えたと思った時に見えてきたのは、自分はまだその山を登りきってもいなかったということ。そして、次のもっと高い山でした。

岩村先生や丸山さんの後に続いて、自分も新たなスタートを切ろう。そんな気持ちにさせてくれたお二人の著書や、学生さんや家族やサークルの仲間や、私を取り巻く全てのものに感謝です。ささやかな勉強をした後、ゆっくり眠って明日からの一週間に備えたいと思います。

Written by

記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

END