他者との関わり方に思う
金曜日。バース大学の同窓会に行きました。現在コースを担当されている清水先生とお母様もいらしていて、いろいろ貴重なお話を聞くことが出来ました。私は大学の学部までの仲間とはあまりきちんと向き合ってこなかったと言いますか、要は現在に至るまでの付き合いがあるのはバース大学の人たちだけです。
そんなわけで同窓会も、毎年顔を出しているのはバース大学しかないのですが、来年からはちょっとどうしようかなと思っています。同窓会と言っても、同じ学年だけではなく、私のような1期生からまだ在学中の学生さんまで参加する会で、楽しいことは楽しいのですが、ちょっとジェネレーション・ギャップというのか、違和感を感じることが多くなってきました。
毎回思うのは、同年代だけで固まって、それ以外の世代とは交わろうとしない人が目に付くな、ということです。ともに学んだ仲間と久闊を叙すのも同窓会の立派な目的でしょうが、それも程度問題かもしれません。先生が参加者を紹介しているのに、それもそっちのけで女子高生のようにきゃあきゃあと話されると、あまり愉快には感じませんでした。
立食パーティーではないとはいえ、ある程度座が盛り上がってきたら、適宜移動していろんな世代の人と話せば良いのにと思うのですが、最初から最後まで内輪で盛り上がっていて、あちこちでポツンとしている人がいます。そういう人も積極的に動いて他のグループの話に入っていけばと思うのですが、そうするでもない。
「正しい同窓会のあり方」なんてものはあり得ないのは分かっています。ただ、同期の仲間内でワイワイ騒ぎたいだけで、他の世代と交わりたくないならば、同期だけの飲み会をしていた方が良いのではないかなと感じるのです。
清水先生は学生さんたちにとても親身に接しているようで、印象としては「包容力のあるお母さん」のような感じで教え子さんたちに向き合っていました。「まあ、多少の『オイタ』は、大目に見ましょう」という感じで、何をしてもまずは受け入れてあげて要所は締めるという印象を持ちましたが、実際大学での指導もそんな感じなのかもしれないと思います。私は「口うるさい兄貴」という役どころなのかな、と思いつつ、かなり酔って電車に揺られて帰ってきました。
***
土曜日。娘は楽しみにしていた幼稚園の「お泊り保育」へ。息子を私の両親に預け、妻と2人で吉祥寺の前進座まで、劇団コーロの「ハンナのかばん」を見に行ってきました。「ハンナのかばん」については、NPO法人ホロコースト教育資料センターのウェブサイトに詳しく出ていますので、ご参照ください。
http://www.ne.jp/asahi/holocaust/tokyo/
2月にも「ハンナのカバン」を原作にした、劇団銅鑼の公演を見に行きましたが、それが良い比較の対象になりました。
「差別される側を身をもって体験する」という意味では、劇団銅鑼の演出は秀逸だったと思います。舞台設定などはかなり前衛的な感じがしました。全体的に「大人向け」というか、好き嫌いが分かれるかもしれない内容だったと思います。カレーに例えると、銅鑼の方は本場インドのカレー、劇団コーロの方は有名洋食店のカレーと言った感じでしょうか。私はどちらも非常に楽しめましたけれど。
劇団コーロの演出は、良い意味でもっと伝統的な感じで、安心して見ていられました。教育的と言ったら良いのか、子供たちに見せたらいろいろなことを感じるきっかけになるなという印象です。ホロコーストの展示について話し合っていた現代日本の子供たちのうち、兄妹の2人がタイムスリップし、ジョージとハンナにすりかわってしまう、という設定が非常に上手いと思いました。
戸惑いながらも「ジョージ」「ハンナ」として生活し始める2人。そんな2人を史実どおりの悲劇が襲います。結末を知っているだけに恐怖と煩悶を覚えつつ、必死に生きた2人が、やがてアウシュビッツの収容所の前で別れた(原作からの細かい設定変更はいくつかありました)ところで、タイムスリップは解け、再び現代に戻ります。見ていた人は、自分をハンナやジョージに置き換え、「自分がこのような状況に置かれたらどうするか」と考えたことでしょう。
公演終了後、ホロコースト教育資料センターの館長、石岡さん(「ハンナのかばん」の全てのきっかけになった方)、高校生の松本さん、劇団コーロの演出家、菊地さんの3人のトークショーがありました。松本さんは、センターで月1回、ホロコーストなどについて学ぶ活動をしていた子供たちのグループ「小さなつばさ」のメンバーだった方です。このグループは当時小学校3年生から高校3年生まで、20人弱の規模だったそうです。
教育資料館が市民の協力で誕生したのが97年。学校・家庭・市民をつなぎ、「命の大切さを知って欲しい」という目的で活動をはじめ、
・自分と同年代の子供たちの体験に目をむける
・世界への視野を持つ
・戦争への隔絶感、無力感を何とかしたい
・一人一人の心の弱さを知らせたい
といったようなことを考えていらっしゃったと石岡さんがおっしゃっていました。石岡さんは、「人間は簡単に加害者にも被害者にも、傍観者にもなる。何がその分かれ目になるのか。非常に深いテーマだが、そこを考える」とおっしゃっていました。これにはとても共感します。
虐殺について、歴史の一こまとして「ひどいねえ」という思いを抱くのは簡単ですが、その場に自分がいたとして、虐殺を命じられたときにそれにあくまで抗うことが出来るかは、誰も確信を持って答えられないのではないかと思います。「自分には関係がない」というスタンスから考えるのではなく、「自分がその場にいたとしたらどうだろう」という視点から考えること、歴史的事実を身近に感じることが、私はとても大事だと思うのです。
第二次世界大戦中の、日本の陸上攻撃機の乗組員の動画を学生たちに見せ、「白黒の映像で、自分とは接点のない、歴史上のひとコマぐらいに思うかもしれない。でもよく顔を見てごらん。学校の行き帰りの電車の中で、自分の前に座ってそうな顔じゃないかな?」などと言ってみたこともありました。
話を戻しますが、ジョージさんが来日した時には一緒に日光に行ったりして親しく接したという松本さんは、ジョージさんの印象として「とにかく明るい。ユーモアがある」と語っていました。ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」にも確か、極限状態に追い込まれると「やけくそのユーモア」のようなものが湧き上がってくるという記述があったように記憶しています
基本的に自分が置かれた状況を前向きにとらえ、機嫌よく対処していくという資質が、あのような状況を生き延びるには不可欠だったということなのかもしれません。
いや、ある意味でそれはどんな状況下でも、今の日々の生活の中でも必要な、それでいてなかなか実現できていない心構えなのでしょうね。
質問タイムになって、妻が松本さんに対して「ホロコーストについて知っていたか」、石岡さんに対して「何が原動力となって、このような活動をしているのか」と尋ねました。お二人の答えは以下の通りです。
松本さん
・ホロコーストは、「ハンナのかばん」を読んで初めて知った
・自分の周りにも知らない人が多い
・昔起きたことを知って、考えて、その結果を自分の周りの状況に反映させていければ良いと思う
石岡先生
・果たしてホロコーストのような状況になったときに、自分は立ち上がれるのか。自分には偏見はないのか
・そのような自分の「心の闇」に気づかされた
・ジョージさんの出会いがあった
・答えが出なくても考え続けなくてはと思った
続いて私が松本さんに「月1回の活動を続けた原動力は何か」、石岡先生に「活動内容はどのようなものだったのか」、菊池さんに「ぜひ大学でも出張公演をしていただければと思うが、その可能性はあるか?」とお聞きしました。回答を列記します。
松本さん
・「ハンナのかばん」は、表紙の女の子が目に留まって購入。当時小学校4年生だった
・お母さんが数日間かけて、本を読み聞かせてくれた
・センターの存在を知って、「かばんを見に行こう」と思った
・実際に見てみると、「かばんの中から、何か出てくるような」感じがした
・「小さなつばさ」の月1回の定例会が楽しみになった
・定例会では暗いこと、悲しいことと向き合うばかりではなかった
・「今出来ることは何か」「未来に向けて、どうするか」と考えて活動していた
・「自分のやることが時間と場所を越えてつながっていく」という感覚を味わった
石岡先生
・98年か99年に、ホロコーストの生存者(解放当時4歳)の話を聞くイベントを行なった。その後で中学生の女の子2人が「もっと知りたい」と言い出した。
・新聞を作って、クラスメートに知らせる活動などを行なった
・渋谷区の「平和のための戦争展」に参加した
・ホロコーストの映画を見た
・広島県福山市の「ホロコースト記念館」と共同でホロコースト生存者を招いて話を聞くイベントを行なった
・その企画、司会、ディスカッションなど、全て子供たちが考えた
菊地さん
・出張公演はもちろんOK!
・戦争や紛争は、日本が直接関わる形では起きていないが、世界ではあちこちで起きている
・我々もいつ戦争に巻き込まれるのか分からないという危機感を持つ必要がある
・その時どういう行動、立場をとるのか?どう考えるのか?
・舞台の上でその「仮定」を作り出して、考えてもらう。何を感じるか?
・そういう作業を続けるしかないのではないか
・「解答」はないから、「この場合の真実とは?」と問うしかない
・模範解答的に「こうだ」と言い切るのは間違っている
3人の考えには共感するところが多く、また、松本さんを見ていると「こういう高校生がいるんだから、これからの世代にも期待できるぞ」と頼もしく感じました。
***
明けて日曜日。今日は大学の「授業体験デー」とやらで、通訳トレーニングを使った英語の授業を高校生に体験してもらいました…が、う〜ん、どうなんでしょうねえ。一部の参加者の態度に、かなり考え込んでしまいました。
そもそも、親子で大学を見学に来るという時点で「ああ、自分の世代にはなかった発想だなあ」と思います。それ自体は悪いことではないとは思うのですが、「そこまで親が介入するのかあ。入社式にまで親がついてくるというのも、まんざらあり得ない話ではないのだな」というのが正直な印象です。
そこまで「熱心」なのだから、参加者はさぞかしやる気に満ち溢れているのかと思いきや、「う〜ん」とうなることが多かったです。
感覚的には、パックツアーの観光客のようでした。物見遊山とまで言ってはあまりに失礼かもしれませんが、少なくとも「自分の学び舎になるかも知れない場所の情報を、少しでも知っておこう。大学の授業というものが高校とどう違うのか、全身で体験するぞ!」という「気概」のようなものは、あまり感じませんでした。文化祭に遊びに行くというノリです。
まず服装。制服で来いとまでは言いませんが、Tシャツに短パンというイデタチはどうなんでしょうか?自分の持っていないものを授けてくれる、そういう場所に対する敬意と言ったら良いのでしょうか、尊重する気持ちというのでしょうか、最近では「リスペクト」というカタカナ言葉で表される感情というのでしょうか、そういうものをあまり感じさせませんでしたね。就職活動で誰もがリクルートスーツに身を包んでいるのとは対照的でした。
親子で参加されている生徒さんが多かったのですが、保護者の方々がああいう格好を許してしまっているというところに、問題の根本があるようにも思います。そういえば、小学校の授業参観も、昔はきちんとした格好で来るのが当たり前だったのですが、今は実にラフな格好ですね。大切なのは中味だとはいうものの、何か凛としたものを感じることが少なくなっているように思います。
それから持ち物。体験授業があるというのに、筆記用具も持って来ていない生徒さんがかなりいました。また、授業が始まってもノートをとらない人がほとんどです。しかもノートをとるよう促されても、ダラダラノロノロ。これに対しては授業中に「『学び』に対する基本姿勢に問題がある。情報に食らいついていく態勢が出来ていない。学びとは一瞬一瞬が真剣勝負だ。『今』頑張れない人が『後で』頑張れるわけがない。これを良いチャンスととらえて、入学までにそういう状態を変えていこう」と呼びかけました。
さらには授業態度。私の授業はシャドーイングやオーバーラップのような「演習形式」の授業なので、積極的な参加態度がカギになるのですが「2〜3人でペアになって下さい」と言っても、いつまでも1人でいる人がいて、結局私が教壇から降りて別のグループに入れてあげました。
ところがその男の子は仲間と目もあわせず、話し合いにも参加しません。またもや教壇から降りて「まず仲間の目を見ることからはじめてみよう。目をあわせないと言
のは、相手の存在を認めないと言うことだよ。コミュニケーションの一番の基本なんだから、最初は目を合わせてうなずくだけでも良いんだ」と言う羽目になりました。
ただ、そうやっていろいろ指摘すると、どんどん変化は見せるんですね。その男の子も最後にはみんなに混じって大きな声で、楽しそうにシャドウイングや音読をやっていました。
いろいろなことを知らないだけなんでしょうか。何でも手に入れられる社会の副作用で「今、手に入れられなくても、どうせ後で手に入れられるさ」と思ってしまって、それの影響が学習にも及んできてしまっているんでしょうか。
根っこの部分が素直でよい子達ばかりなので、余計に「もったいないなあ」と思ってしまいます。しかも、他の学問ならばともかく、外国語大学に、コミュニケーションの手段である「言葉」を学びに来ようという生徒さんたちがあの調子だというのが、かなり驚きました。非常勤講師時代には見えてこなかった、「当世高校生気質」とでもいうようなものの一端を見た思いです。
OK。現状はだんだん見えてきました。問題点を感じているならば、教師としての立場から変えていくだけのことです。いろいろな手を考え、腰をすえて若者たちと向き合って行こうと思います。
帰りの車中で読了した齋藤孝さんの「なぜ日本人は学ばなくなったのか」のあとがきの言葉が、今の私の気持ちを実によく代弁してくださっているので、その言葉を引用して今日のブログを終わりたいと思います。
「おせっかいなようだが、おせっかいなのが大人の仕事だ。(中略)私は覚悟をもって、おせっかいを焼き続けたい」