通訳サミット
10月11日
今日は東京外国語大学で「通訳サミット2009」がある。鶴田先生直々にご案内をいただいたシンポジウムで、理論の大家・ダニエル・ジルをはじめ、勉強不足のこの僕でも名前を知っているようなビッグネームが参加する。
会場について手続きをしていると、列のすぐ後ろが神戸女学院大学の松縄先生だった。日本の女性通訳者の草分け、いわゆる「オリジナル・エイト」と呼ばれる一人でいらっしゃる。ご挨拶をして先に会場に入る。実はメディア・イングリッシュの学生が書いたエッセイを持って来ていて、教室の後ろの端っこに座って、こっそり採点などやりながらのんびりと話を聞こうかと不届きなことを考えていたのだが、教室の中央、一番目立つ場所で手を振っている人がいる。同じ大学の在日数十年というアメリカ人、D先生だ。
挨拶をしに近寄ると、僕がネクタイを締めているのを見て、ニコニコしながらWere you working this morning?という。僕が6月一杯までNHKの早朝勤務をやっていたのを知っているのだ。No. I dressed up specifically for this occasion.というと笑っていた。いきおい、D先生の隣に座ることになる。腰を下ろしかけると、「やあ、こんにちは」と小松先生がお声をかけてくださった。しばらく立ち話をしてまた座ろうとすると、「お隣、よろしいかしら?」とまた声をかけられ、顔を上げると松縄先生が微笑んでいらっしゃった。
どんなシチュエーションだろうと、また、相手が僕のような若輩者だろうと、松縄先生は実に丁寧な日本語をお話しになる。もちろん異存のあるはずもない。ありがたい話ではあるのだが、D先生と松縄先生に挟まれ、もはや内職をするどころの騒ぎではなくなった。なんだか緊張するせっかくなので松縄先生とお話してみる。気さくにいろいろ話してくださった。
そうこうするうち、鶴田先生のご挨拶と亀山学長の開会宣言があり、ダニエル・ジルの基調講演へと続いた。
以下覚書。(大幅にはしょっています&私の聞き違いなどがある恐れがあります)
*現状の否定というつもりではなく、研究者として純粋に既存の概念への疑問点を列挙する
・言語習得をしてから通訳教育と言う順序は絶対か?言語習得が十分でないと本当に通訳教育は不可能か?
・通訳者が通訳を教えるべきという考えは妥当か?
・通訳者はinto母語であるべきか、from母語であるべきか?
・まず十分に逐次通訳に取り組んでから、同時通訳に取り組むべきか?
・メモを取りながらの逐次通訳は、メモなしの逐次通訳を少なくとも数週間練習してから取り組むべきか?
→ロシアでは、記憶を鍛えるため長期間メモなしで訓練する
→しかし、記憶力を鍛えるプロセスが筋トレのようなものだと考えると、メモなし訓練をやめてしまったらその能力は減少するのではないか?
・authenticなものしか教材にすべきではない、というのは本当か?
・録音教材よりライブ教材が良いと言うのは本当か?
・シャドウイングは役に立たないと言うのは本当か?
→というか、個別スキルのトレーニングはやっても無駄なのか?
*背景の違い
西欧
・IGO(政府間)の通訳という伝統がある。
・多言語を話せる人が多い。
・会議通訳がメイン
・ビジネス通訳はそれほど多くない
・Public Service Interpreting(PSI、いわゆる「コミュニティー通訳」)は、ほとんどない
日本
・IGO少ない
・モノリンガル
・外交通訳の伝統強い
・放送通訳多い
・ビジネス通訳多い
・PSI少ない
・法廷通訳少ない
その他、通訳プロセスの分析などがあった。
・ノートなしの逐次通訳訓練は、awareness-raisingに過ぎない?
・同時通訳は、accelerated consecutive interpretingではない
・個別スキルにも力を入れた方が良いという研究がある。
・ライブ教材が大事と言うことだが、教材は最初は録音教材でOK。しかしスタイル、アクセントなど多くのスピーカーを集めようと思っても不可能。結局、録音教材が大切になる。ウェブにたくさんある。スクリプト付きのものも多い。
などなど。あまりの内容の濃さに、ついていくので必死だった。ちょっと理論の話になったり、研究論文の話になると完全においていかれて凹む。ま、仕方ない。
鶴田先生の東京外大の通訳教育についてのプレゼン。
・3本の柱「通訳訓練」「通訳理論」「背景知識」
・UNHCRでのOJT実施
・学内の講演などOJTとして通訳。平均月2回ぐらい。
・NHK放送文化研究所とコラボ
・Gメディアとコラボで教材開発
・Democracy Now!をインターネットで放送通訳
うわー、これも凄いな。5年制のコースもあるという。うちの通翻課程も、いっそ5年制にしたら就職活動がどうの、という話にならなくて良いのに。いやまあ、話はそう単純じゃないだろうけど。
ここでお昼。小松先生と松縄先生、D先生に、通訳者の岩倉さんという豪華メンバーと一緒に昼食をとる。カフェテリアで並んでいるときに、小松先生に大学の授業を見学させていただけないかお願いすると、快諾してくださった。秋田の国際教養大学には、火曜日と水曜日に出講していらっしゃるそうだ。秋田は遠いですから、サイマルの授業を見にいらしたら、ともお誘いいただいた。そちらもありがたく見学させていただくつもりなのだが、何しろ大学(学部)レベルの通訳教育を、大先輩(というのもおこがましいが)がどのようにやっていらっしゃるのかを、ぜひこの目で見てみたいのだ。9月から始まったばかりとのことだったが、年内に一度見に行きたい。
食事を取りながら通訳教育談義。D先生がいらっしゃるので(本当はD先生は日本語がペラペラなのだが)、自然とみんな英語で話す。通訳教育に関して、以前のブログで書いたような主張を恐る恐るしてみると、みなさん「その通りです」と仰ったので、意を強くした。そうか、やっぱりあの方向性で良かったんだ。
小松先生が通訳の授業の際に学生に対して語ったという言葉が実に心にしみた。細部は違っているかもしれないが、記憶とメモを頼りに記す。曰く、
I might fail to make you an interpreter, but I will make you intellectual.
……うーん、深いなあ。そう、そうなんだよなあ。教養教育、全人教育としての位置づけっていうのが、個人的にはとてもしっくり来るんだけれど。
1月に立命館大学で2日間、翻訳についての会議があるとのこと。9日、10日とのこと。興味あり。
みんなでワイワイ話しながら自動販売機でコーヒーやら紅茶やらを買って、日当たりの良いベンチで話した後に会場に戻る。入り口のところで名古屋外
の浅野先生とお会いしたので、通訳コンテストではお世話になりますとご挨拶をした。いつものようにニコニコお話して下さるが、その表情のままビックリするようなご依頼をされた。
通訳コンテストの最後に、同時通訳の模範通訳をやってもらえないか、とのこと。
0.5秒でtail between legs状態になる。だって、それは去年のコンテストでは鶴田先生が行なった大役だ。hard act to followですよ、といったんはお断りしかけたが、そこを何とかと切り返される。混乱しつつも待てよ、と思いなおした。
いつまで同時通訳から逃げ続けるつもりだ、自分。
コンテストに出場する学生は「死ぬ気で頑張ります」ってメールしてきて、事実、毎日一生懸命じゃないか。教え子をコンテストに放り込んでおいて、自分は打ち上げのビールでも楽しみに、のうのうと高みの見物を決め込むつもりか?これも何かのきっかけだろう。せっかく声をかけていただいたんだ、挑戦してみよう。
そんなようなことを一気に考え、「それでは……」とお話をお受けした。お受けしてしまった。もう後には引けない。何度も丁寧にお礼を言って去って行く浅野先生を見送りながら、食後の眠気は完全に飛んでしまっていた。
午後の発表のトップバッターは、モスクワ国立大学のGarbovskiy先生。主に通訳教育の歴史と、カリキュラムの話だった。印象的だったのは、ロシアではfrom A language、つまり母語から外国語に通訳するのが一般的だということ。これはヨーロッパの通例の正反対だ。へえー。
……なぜだろう?この辺りを調べてくれないかなあ、誰か。(他力本願)
続いて、パリ第3大学のClare Donovan先生。通訳教育で名高いESITの教育改革の話で、学生の動機付けという観点から非常に興味深かった。
学生から、Classroom is not realistic.という不満の声が挙がったのが発端。
・そもそも数ヶ国語が出来る人が受講する→「通訳がいないとコミュニケートできない」という必要性を感じにくい
・通訳者は話好きで教え好き→skill-based learningの場合、教えすぎは自律学習の機会を奪ってしまう
ESITの1年生40人が、授業がuninspiringだと言い出す。プレッシャーから、授業中の訳出を拒否する学生も出た。
→模擬会議の最中には、コメントしないことにした。あとでまとめてメールなどでコメント
→模擬会議では、どこかの国の代表などの「役」を割り振るのではなく、自分の意見を語らせた
自主性を引き出したら、うまく言った。会議の後に時間を取ってデブリーフィングを行い、そのときに訳出の方策などを検討する。4週目から会議の議長も学生にやらせた。
次はHiromi ITO-Bergerot先生。通訳者養成のマニュアルを訳した際のお話だった。これは本を買わねば。D先生と言語研究所を通して購入できないか話す。
ここでコーヒーブレイク。お菓子の置いてあるテーブルに行くと、小松先生がチョコをつまんでいらっしゃった。ウーロン茶をお注ぎする。
続いてShanghai International Studies UniversityのAndrew Dawrant先生の発表。上海国際大学の通訳翻訳コースの紹介だったのだが、凄まじい内容だった。
まず選抜試験。
・6時間の筆記試験(帰りの電車で伺ったら、午前3時間に午後3時間)
・20分のrecording
これで2百人から3百人いた応募者を、25人から30人に絞る。
・45分の面接(ロールプレイやスピーチ等)
これで8人から10人を合格とする。なお10名以上の合格者は出さない。合格者の6割はMAをすでに持っており、6割が学部で言語関係を専攻している。平均年齢26歳。最年少は21歳で、最年長は39歳。
2年間の徹底した通訳教育を課す。半数近くはドロップアウト。
MAのコースではない。Professional Diplomaで、修士の学位は出ない。このため、カリキュラムなどが自由に組める半面、資金面などで制約が出ることもある。
通訳者の収入は、
Qualified beginnersで「1日」3500〜4000元
Established professionalsで「1日」6000元
ちなみに、
大学教師は「ひと月」3000元
sea-turtle MBAsで「ひと月」12000元
sea-turtleって何だろうと思ったら、海外でMBAなどをとって、中国に戻って働く人のことを指すらしい。「放流して、大きく育って戻ってきた鮭」みたいな感じだろうか。
「Gesstimate」 60-80人が上海でプロとして稼動中。北京だと150人以上か。guesstimateというのが面白い。
EUやUNのような、きちんと市場をregulateする存在がいないので、野放しになっている面もあるそうだ。
人口13億人に比べて、AIICのメンバーは25人と極端に少ない。
・いくつか面白い中国語の表現があった
passing off fish eyes as perls 「魚目混珠」
a lot of talk, but no action Much Thunder Little Rain 「雷声大 雨点小」
最後に5月に視察に行った韓国外国語大学校のChoi Jungwha先生の発表。大学のカリキュラムなどについてだった。
1979年に開校した当時は外国語を話せる学生はほとんどいなかったが、今では半分以上が「帰国生」とのこと。
また、アルジェリアとの経済協力の話から、フランス語通訳の授業が増しているそうだ。
さらにEUとのFTA交渉が批准されるのを待つばかりで、フランス語、ドイツ語、スペイン語の通訳の需要も増しそうということ。
続いて同じく韓国外国語大学校のHyang-Ok Lim先生が施設などについて紹介していた。これは見学した施設の写真などがあって懐かしかった。
コーヒーブレイクを挟んで、パネルディスカッション。まずは「学部レベルの通訳教育について」。
Donovan先生は「基礎訓練にはなると思う。しかし、それならば通訳訓練そのものでなくてもいいのでは?」
→うう、痛いところを……。
Dawrant先生は「専攻としては疑問。逐次通訳なら、3年生4年生なら、やらせられないこともないが。学部レベルでの会議通訳教育は、現実的ではない。MAで通訳を専攻する際にも、アドバンテージにはならない。むしろ他の事を専攻した方がプラスになるかもしれない。入学した時点では、トレーニングなどをやりなれている分目立つ存在になるが、やがて息切れしやすい」
→正にその通りだと思います。
Jungwha先生は「学部生の通訳教育は3〜4年前までは反対していた。しかしMAでの伸びを見て考えを変えた今では大賛成。そもそも通訳教育の目的は何か?言語だけでなく、分析力など総合力を伸ばすことだ」
→能力開発という観点からの通訳教育。これも仰るとおり。
他にも質問はあったのだが、学生のOJTに関する質問が興味深かった。
Donovan先生「よくボランティア通訳の依頼がある。
かし、勤務条件が劣悪だったりする。単に安く、もしくはタダで通訳を使いたいだけのことも。倫理的に問題がある。また、単に通訳の経験を積むだけではダメで、ちゃんとそれを教師が見てフィードバックを与えるなど、教育できる環境でなければ」
→ボランティア通訳が、通訳マーケットを食い荒らすというのは、僕も同じ考え。
Garbovskiy先生は、「理想論を言えば、『免許がない限り、医学生は手術をしてはいけない』。しかし現実的には、NGOなどでOJTを積むことを通して、通訳プロパーで行くのか、国際的環境で働くことを選ぶのかを決めるという側面もある」
→確かに、働いてみないと自分の方向性を決めかねるということはあります。
鶴田先生「経験積みたい気持ちは分かるが、どこまでそれを許すか」
→ですよねえ。
以上でサミットは終了し、懇親会へ。フィリピンダンスが披露されて、非常に興味深かったので、ダンサーの学生さんたちにあれこれ質問してみた。以下に分かったことを記す。
・フィリピンダンスの衣装には、スペイン、というより直接的にはメキシコの影響がある。交易があったので。
・ガムラン的音楽を使うのは、山岳地帯の踊り。棚田で働く様子。手の羽ばたくような動きはアヒルを表している。
・フィリピンの踊りにはアヒルやハトなど、鳥がよく登場する。
・バンブーダンスは、罠に掛かった鳥の動きがモデル。
・中国の影響もあるので、扇子も小道具として使う。
・南部はイスラム教の影響が濃い。男性の腰巻のようなものや、白い上着など、衣装もイスラム風。インドネシアやマレーシアのイスラム教の影響。
・打楽器は、北部は竹、南部は鐘を使う。
・イスラム教では、家柄の良い女性はつま先から接地して歩く。上品な歩き方。
・母なる大地をしっかり踏みしめるという意味で、男性は踵から接地する歩き方をすることも多い。
→中国拳法の歩法を思わせる。
その後、鶴田先生からJ大学の後輩を紹介される。いろいろキャリアについて話したが、話の流れで今度の金曜日、その人がやっているキャリアアップセミナーのようなところで話をすることになった。大学裏手のアイリッシュパブで20時から。さて、どうなることやら。お役に立てれば良いけれど。
帰り道は新宿までDawrant先生と一緒だった。車内の路線図を見て笑っているので、どうしたのかと尋ねてみると、
「我孫子って、中国語では『私の孫』って意味で、罵り言葉だよ」と言う。なぜ孫が罵り言葉になるのかと尋ねると、儒教の影響で、目下を軽んずるからだそうだ。
他にもいくつかあったのだが、忘れてしまった。そうだ、「平間」というのは、「遺体安置室」というような意味に取れるそうで、「この駅では降りたくないねえ」などと笑っていた。
新宿駅で先生と外大の学生さん2人と別れ、朝に買ったままだった日経とデイリー・ヨミウリを読み倒して帰宅。資料を元に備忘録も兼ねてブログを書いて今に至る。
しかし思うのだが、日本においては、通訳の修士課程や大学での通訳者養成というのは、むしろ目指すべきではないのでは、という気がする。通訳そのものではなく、英語教育なり能力開発なり、その副次的効果の方に主眼を置いてはどうだろうか。本当の意味で需要があれば、通訳者の収入は高いはずで、それに引かれて人材も集まる。中国に置いては正にそうだし、ヨーロッパに置いても成熟した通訳者市場があると見てよい。そういう状況ならば、通訳者養成のための通訳教育を大学で行なう意味もあろう。
それに対して、今の日本はどうだろうか?不況になって、真っ先に削られるのは通訳料金ではないだろうか。そのような状況下で、たとえ理論的バックグラウンドを導入したものであっても、通訳者養成を主目的にした通訳教育に、いつまで大学教育の現場に居場所があるのかどうかは、ちょっと疑問のような気がしてならない。
もちろん個人的にはいつまでも居場所があって欲しいけれども。