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翻訳(通訳)教育の持つ可能性

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

所属する学会の例会があったので、参加してきた。何と言っても、今回は「『順送りの訳』の系譜」と「翻訳教育の一モデル」という演題だったので、文法訳読の復権を唱える身としては、ぜひお聞きしておきたかったのだ。

まずは水野先生の「順送り……」歴史的にどう展開してきたかをふりかえる。それぞれの説が非常に面白く、さらには自分が英語を習った「文法訳読」とどう関わるのかが興味深かった。

伊藤和男先生の考えが、かなりいい線行っていた、というのも「へえ」と思う。

個人的には、「なぜ訳読するのか」という疑問に対する答えが面白かった。

例えば英語を読むとする。この際母語である日本語に比べ、外国語である英語の語彙は非常に貧弱である。このため、「英語を英語で理解」しようとすると、理解の程度が貧弱になってしまう。このため、母語である日本語を介した理解が必要になるのだそうだ。そのための「訳読」だという答え。

なるほどなあ、と思う。実際、英文を読ませて学生に「分かった?」と尋ねても、自分が理解したかどうか、理解したと思えてもそれが正しいのか十分に深いのかは分からず、確認のためには最終的に訳させてみないと分からない、ということは日常的にある。

続いては山岡洋一先生の発表だ。帰国直後に山岡先生の「翻訳通信」を読んで共感して以来、ずっと動向を注視していた方なので、お会いできて実に嬉しかった。膨大な情報量で、ハンドアウトが三色ボールペンで色とりどりになった。抜書きする。

・翻訳教育の目的は2つ
 1 翻訳者の養成
 2 一般教養の向上

・翻訳者の養成を25年やってきたが、モノになったのは5人。甘く見ても10人。効率悪いと思ったが、編集者に聞くと、これでもそう悪くなさそう。翻訳者のデビューは30〜40代が多い→大学の授業で「これを履修したら翻訳者になれる」などとは、とても言えない。
→「教えたって、上手くならないよ……」

・翻訳は学習効果が非常に高い
→翻訳の中で経済を学んだ
→言語知識(外国語の読解力と日本語の執筆力)と世界知識(背景知識)が得られる

・原文→(翻訳プロセス)→訳文
この(翻訳プロセス)というブラックボックスの中に学習効果の秘密がある

・今の学生は、訳読をやったことがない人や、文法を学んでいない人が多い

・過去25年間に翻訳は大きく変わった。すなわち、「翻訳調の衰退」
→25年前は、「翻訳者は5年もすると筆が荒れて使いものにならなくなる」といわれた
→要求される訳文が、翻訳調だったため
→「これはこう訳す」と決まっている。includeとあれば必ず「含む」、in factは必ず「事実」と訳すといった具合。「辞書に書いていない訳語を使った」とクレームがついたこともある。Youなら「あなた」と訳す。「お前」や「そちら」ではダメ。girlなら「少女」。
→今は逆に、経験を重ねるほど実力が上がる。翻訳調の縛りがなくなり、翻訳の学習効果が生かせるようになったから

・翻訳調(新興国型の翻訳。1980年代ぐらいまで)
→遥かに進んだ欧米文化を取り入れるための手段(医学、軍事などが最優先。ずっと後に文学)
→原文の意味を理解することなどとても出来ないことが前提「意味は分からないけれど、何とか日本語にして皆で読もうよ」
→原文の表面に忠実
→原書を読む読者のために、原文の語句や構文を決められた訳し方で訳す
→「必ず原書と訳書を並べて読みなさい」と言われたもの
→「語学」としての翻訳—求められるのは外国語力

・「翻訳」という手段で文化の吸収を行なった国は、日本以外ほとんどない。
→たいていは、一部のエリートが先進国の言語を学んで、その言語で知識を吸収する
→本国は取り残され、後進国のまま

・新しいスタイルの翻訳(先進国型の翻訳)
→異文化のなかで特に優れた部分を学ぶための手段
→原文の意味を理解できることが前提
→エンターテイメント系の翻訳に、秀訳が多い
→原文の表面ではなく、「内容」を伝える
→訳書を読む読者のために、「内容」を再構成し、質の高い日本語で伝える
→「執筆」としての翻訳—求められるのは総合力

・教育における英文和訳は、翻訳調の翻訳者を選別し、育成する手段だった
→翻訳調の衰退とともに、英文和訳が衰退。それに変わる新しいスタイルの外国語教育はまだ確立していない
→読解力を軽視してコミュニケーション力を養えるのか
→文法訳読に代わって、翻訳を教育の手段として使える可能性がある

・翻訳の学習者は、英文和訳の経験はあっても執筆型翻訳の経験がないのが普通
→そこで両者の違いを教える

・英文和訳
→英文の読解力を採点者に示すことが目的。採点者は原文を読んでいる
→英文和訳には「読者」はいない。初心者の翻訳は、読者不在になりがち。意味が分からないのに、無理して書く

・翻訳
→原文の内容、意味を想定読者に伝えることが目的。読者は原文を読まない
→翻訳では、分からないことは書かない。意味が分かるまで調べて書く
→「分かったつもりになっている」こともあるので注意
→「知らないことは恥ではない。調べないのは恥」
→分からない場合、どこかで間違っている。構文解析?語句の意味?内容の理解?日本語表現?
→翻訳は訳文で勝負する
→翻訳の評価基準は
 1 忠実性 訳文が原文の意味を忠実に伝えているか
 2 整合性 訳文が想定読者に意味を伝えるという点で一貫性、整合性を持っているか

・「翻訳のフィードバック・ループ」
 原文を読む→調べる→原文の意味を理解する→訳文を書く
→原文の意味を忠実に伝えているかどうかを判断する
→忠実でないときは元に戻る
→忠実だと判断した時は、訳文だけをチェックする
→訳文が想定読者に「分かる」文章になっているかどうかを判断する
→「分からない」部分があるときは元に戻る
→「分かる」と判断した時は、他人(編集者)に読んでもらう
→「分からない」部分があるときには元に戻る
→「分かる」と判断されれば完成

・翻訳とは「口寄せ」である
→原著者を自分にのり移らせて訳文を書く
→最初は大変だが、のり移ってからはラク

・突合せ部分は英文和訳に近く、訳文だけの部分は翻訳に独特
→翻訳教育では特に訳文だけのチェックを重視

・一読して分かる文章は誰でも読める。一読して分からない文章こそ、英語専攻の人の出

・教える場合、読み応えのある文章を使う。ある程度量のあるもの
→FDRの第一期就任演説、ケインズ「マクロ世代の経済的可能性」、JSミルの自伝第一章など
→JSミルは、3歳の時にギリシャ語を学び始める。まず重要単語覚え、文法をやったあとは、イソップ物語の「翻訳」を行なう
→英才教育を施した父親は、翻訳の教育効果に着目したのでは?
→つまり、翻訳は「教育の柱」として使われてきた(ただし、翻訳調は問題)

・紙の辞書が必要

・コーパスが大切。使い方に習熟しておくこと

・学生は「正解」を求めるが、教えているときに「正解」を出すのがイヤ。たいてい言わない

・添削も、何の役に立つのかと思う。同じ訳文を2回訳すことはないのだから

・翻訳教育を学んで訳読を教えられるようになると良い

・日本人は元々大変な勉強家。勉強の手段の一つとして、翻訳を使ってはどうか?

終わったあとの質疑応答の際、「翻訳教育の前提として、文法教育を集中して行なうべきかどうか」とお尋ねしてみた

・必要な文法事項について「○○が分かってないね」と言って、後は調べさせる
→教えたものは忘れる。自分で探し出したものは忘れない

とのこと。学生の基本的な学習態勢が問われるやり方だなと思う。

通訳と翻訳の違いはあれど、教養教育につなげるという考え方には非常に共感を覚える。何とか僕も、大学での教育を形にしていきたいものだ。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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