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理想だけでは生きていけない。でも、理想があるから生きられる。

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

2年前、勤務する大学で、私がコーディネーターを務める通訳翻訳課程の説明会を初めて行った時のことです。一通り説明した後に質疑応答の時間を設けました。

一番最初に出たのが、「留学が義務付けられているが、それで就職活動に影響は出ないか」という質問でした。これにはかなり驚いたのを覚えています。

まず、自分が大学1年生だった時のことを振り返ってみると、そんな時点では就職活動の「しゅ」の字も考えていませんでした。

また、やはり自分が大学生だった時のことを考えると、「就職活動」と「留学」が天秤にかかるなどとは思ってもいなかったのです。チャンスがあるなら、就職など先延ばしにしてでも留学だ、と思っていました(結局留学するのは2回の留年の後に卒業してから、何年も後でしたが)。

私はいわゆる民間企業の「就職活動」というものはしたことがない世間知らずですし、現代の就職事情にも明るくない門外漢ではありますが、このところの「シューカツ」に関しては、いろいろと違和感を抱いています。

まずはスタートラインの前倒しです。3年の後期あたりから動き始め、4年生ともなると「大学生」なんだか「就活生」なんだか分からないほどの忙しさです。当然授業には出られないことも多く、今や大学生活は実質的に3年半弱、という程度です。

「学費を払ったんだから、ちゃんと授業をやって欲しい」という声がある割には、数年前に学校が週休2日制になった時も、就活のスタートラインが前倒しになった時も、あまり反対の声が聴かれないのは不思議なことです。

前者に関しては、まあ何となく理解できるような気もしますが、後者に関しては、要は大学での教育はその程度にしか期待されていないのかな、とも思います。

企業の側も、「最低限の基礎力さえあれば、あとはこっちが研修するから余計なことはしないでいい」というスタンスで、学生の側も「『良い企業』に就職できさえすればいい」と考えているのでしょうか。だとしたら、困ったことです。

先日も知り合いの大学教員がぼやいていました。授業中、4年生が携帯電話を盗み見しつつモジモジしているので、「どうしたの?」と注意したところ、「企業から内定の連絡があるかもしれないんです。あったらすぐ携帯に出ないとダメなんです」とのことだったそうです。

しかも、面接があったのが月曜日で、その時が水曜日。企業側は「金曜日までに連絡する」と学生に言い渡してあったそうです。

これはあんまりじゃないかと思います。「勉強なんてどうでも良い。会社に対する忠誠心をさっそく試させてもらう」と言わんばかりです。

そもそも、授業がある平日に会社説明会を開いたり、面接を行なったりするのも、個人的にはどうかなと考えています。学生側だって「我々の勉強する権利を侵害するような会社の説明会にも面接にも行きません!」と一致団結して反対したらどうかなあと思います。人材が確保できなかったら、企業側だって困るでしょうから。

でもまあ、それはあくまで理想論というか、どちらかというと机上の空論に近いかもしれません。結局は学生の側も疑心暗鬼というか、belling the cat状態になって、やはりうまく行かないかもしれません。

もちろん霞を食って生きていくわけには行かない以上、就職は切実な問題です。しかし、「うまいこと就職する」ことから逆算して大学で学んでいくのも、どこかおかしい気がします。

そもそも、そこまでして入社しても、以前と比べて離職率が非常に高くなっているというではないですか。だとしたら、大学を卒業した時点での就職に、それほど躍起になる必要はないのでは、と思います。

私も卒業した後は、今でいうフリーターでした。BBCで働いていた数年間も、フルタイムの雇用ではありましたが1年ごとに契約更新でしたから、実質的には契約社員状態。しかも保育費がえらくかさんで(月に20万円以上かかりました)、このままだと貯金が底を尽きることが判明して、一家4人で(娘はまだ妻のおなかの中でした)2002年11月の末に帰国したのです。

帰国した時には全く仕事がなく、帰国して数か月後にあった弟の結婚式では、お祝い金すら自分の思うような額を入れるのに四苦八苦するありさまで、お金がないことがこんなにつらいことなのか、としみじみ思ったものです。

その後も専門学校や大学の非常勤講師とNHKの通訳者とディスカバリー・チャンネルの映像翻訳者など、5〜6足のわらじを履いて必死に生活費を稼ぐ一方、大学の常勤講師に応募し続けました。分かりやすく言うと「非常勤講師」がアルバイト待遇のようなもの、「常勤講師」が正社員待遇のようなものです。

しかし続々と届く不採用通知。面接や模擬授業まで行くときも何度かあったのですが、いつもそこどまりでした。20連敗までは数えていましたが、それ以降は半ば絶望して、数えていません。おそらく30連敗ぐらいは軽くしたのではないかと思います。

今度こそうまく行った!という感触があった模擬授業と面接を終えた2008年の夏、妻と祝杯を挙げました。しかしそれから数か月音沙汰がなく、最終的に届いたのは不採用通知。声も出ないほど落胆しました。

就職活動をして足かけ8年目。とりあえず何とか食べて行けるし、もうこれでいい、子供たちの教育も何とかなるだろうし、一生フリーランスで行く。

そう決心した直後、獨協大学で行われた日本通訳翻訳学会(当時は日本通訳学会)でのことでした。当時会長をしていらした鳥飼玖美子先生が、大会終了後に私のところにいらっしゃり、「大学の常勤講師に興味はありますか?」とお尋ねになるのです。

もちろん興味があり、実は何年も応募を続けているのだけれども、うまく行かないことをお話したところ、「通訳を教えられる人で、常勤講師として勤務できる人を探している方がいらっしゃるので、話を伺っては」とのことでした。

そして対面したのが、今の勤務先である大学の英米語学科の学科長である先生だったのです。

その後、幸いにも採用していただき現在に至りますが、不惑5か月前の「就職」でした。こんな事例だって、世の中にはあるのです。

何だか(いつも通り)まとまりのない話になってしまい恐縮ですが、要は「高校卒業→大学進学→(留学)→卒業→就職」なんていう一本道が人生ではないということです。

もちろん就職は大切ですが、まずはあらゆることを知ろうとし、様々なことを体験して、自分の興味が特定できたら思い切り学ぶのが先決ではないかと思いま

何だか最近の「就職の失敗は、人生の失敗」みたいな風潮を見ていると、何だかなあ、と思ってしまうのです。私なんか、大卒の時点では思い切り就職に失敗した人間ですから。まあ、リカバリーに20年かかったのは、もう少し短縮できれば良かったとは思いますが、それでも自分なりに精いっぱいやってきたので特に後悔はしていません。少なくとも、自分の今までの人生が「失敗だった」とは思えないのです。

「就職対策」ということしか念頭にないのであれば、留学そっちのけでTOEIC対策に熱を入れたり、面接の練習をしたり、SPIの「対策」に熱中したりするのも肯けます。何もやらないよりはもちろん良いのですけれども、特に語学に関して言えば、「検定試験対策は、語学の勉強とイコールではない」と言えると思うのです。

会社の人事担当の方は何百人という大学生を見るわけですから、「盛り付け」の部分だけに力を入れたところで、あっという間に「食材の良さそのもの」を見抜かれてしまうのではないかと思います。

偉そうなことを言う私自身、大学に入学した直後は、そういう表面的な部分を求めていましたし、勉強そのものも非常に受け身で、「せっかく有名と言われる大学に入ったんだし、何か必殺技みたいな凄いノウハウを伝授してもらえるのでは」と勝手に期待して勝手に失望していたものです。

似たようなことを書いている人がいました。
「大学ってもっとすごいところだと思ってた。」
http://anond.hatelabo.jp/20090103125210

でも、そういう態度では授業からも落ちこぼれ、単位も取れず、留年。そんな現実を突き付けられ、少しずつ本当の意味での「学び」が始まりました。そんな経験があるので、個人的には「留年も、自分を見つめ直すいい機会だ」ぐらいに考えています。

自分にとっての理想は何か。大学で何を学び、何を考え、その結果を学友や教員にぶつけて磨き上げ、どう社会に働きかけていくのか。

そういうことを、特に大学生にはぜひ考えて欲しいと思います。もちろん、そういう理想だけでは生きていけません。日々の糧を得るためにはどうしたら良いのかも、併せて考えるべきです。

なかなか実現しないからこそ、理想というんですからね。

でも、そういう理想があるから、生きる張り合いがあるんです。「武士は食わねど高楊枝」って言葉がありますが、生死にかかわるならともかく、多少腹が減るぐらいのことに負けてはいけません。

理想だけでは生きていけません。でも、理想があるから生きられる。

そう思うのです。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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