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韓国帰国プロジェクト

工藤浩美

工藤浩美の東へ西へ

通訳はまだまだリモートでのご依頼が多いのですが、海外出張の依頼も少しずつ増えてきています。私も節目になる今年の誕生日こそ、3年ぶりに海外行きたいと思い色々候補地を考えていました。最終候補として考えたのがスペインとスイス。しかし飛行機チケット代の高騰と、コロナリスクを考えるとなかなか決断できませんでした。

それが私自身7月25日に日本でコロナに罹患し、幸い軽症ですぐに復活。考えてみたら今こそ罹患リスクが限りなく低いと思い、まずは近場のソウルに友人と2泊3日で旅行することにしました。

韓国の入国制限は刻々と緩和され、観光VISA必要なし、条件は韓国入国後24時間以内のPCR検査1回のみ。金浦空港に到着後すぐに検査して、少し活気を取り戻した明洞で遊んでいました。

それが数時間後に送られてきたPCR検査の結果を見て顔面蒼白になりました。なぜか私だけがまさかの陽性だったんです。一瞬頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなりました。

私にコロナの症状は全くなく、ネット検索によると一度過去に罹患すると、体内の死滅した菌が感染力はなくても2.3ヶ月検査に反応する場合があり、検査基準も国によって違うらしい。こういったケースで海外で隔離されている人も結構多いということでした。

韓国では陽性者は7日間の隔離が義務付けられており、隔離後も陽性の検査結果が出た場合は、日本大使館に領事レターを書いてもらいやっと帰国できるそうです。今韓国大使館は依頼が殺到していて、書類作成に5日以上かかるという現実でした。全て認識が甘かった私の自己責任です。

宿泊しているロッテホテルからは「このホテルは隔離施設ではないので、陽性者の場合は延泊できません。韓国の隔離施設はどこも満室ですが、ご自分でも探してください」と連絡が入りました。スーツケース片手にソウルの街を彷徨っている自分の姿が一瞬頭の中をよぎりました。

そこで日頃のコーディネーター力を100%発揮し、遠隔でテンナインの取締役、知人紹介のロッテホテルのスタッフ、クレジットカードのコンセルジュデスクで、勝手に「帰国プロジェクトチーム」を結成し、できるだけ情報収集しました。

分かったことは、全ては韓国保健所の判断で決まるということでした。日本は9月7日以降、陰性証明書がなくてもワクチン接種証明書があれば入国できます。そこで保健所に今までの経緯を英語で長文メール送りました。返事は「あなたは来週の月曜日からフリーです」と一言だけでした。

ホテルもフロントデスクマネージャーまで延泊の交渉をしましたが、保健所の指示に従うしかないので難しいという返事でした。万策尽きたと思ったのですが、そこで私は諦めませんでした。

やっと保健所と電話で連絡が取れたのが帰国予定日前日の17時。担当者には英語も日本語も通じず絶望していたら、突然3者通話で韓国語の通訳者が入ってきて逐次通訳をしてくれたのです。これが噂の韓国の通訳システムかと感動しました。熱く語りやっと思いが通じました。本当に通訳という仕事は素晴らしいと体感しました。

保健所からは「あなたは韓国でコロナに疾患したのではなく、日本で疾患して治ったはずなのに検査に反応してしまったんだと思います。陰性という証明書は出せませんが、日本の診断書を送ってくれれば、隔離の必要なしという証明書を作ることができます」と言われました。

最初に手元に持っていた日本のMy HER-SYSの証明書を送るも内容不十分で却下され、すぐに診断してくれた日本の病院に英文の診断書を依頼しました。診断書は有料なので事前にPayPayで支払ってくださいと言われ、遠隔でスクリーンショットを駆使してQコードを読み取って支払いし、LINE経由で診断書を入手して保健所に送りました。

結果無事日程通りに韓国を出国でき、ワクチン証明書で日本に入国できました。本当にあきらめなくてよかった。一部始終を見ていた友人はまさか私が陽性になるとはおもわす、そしてまさか一緒に帰国出来るとも思わず2度びっくりしていました。

役員には「できれは自分の仕事に集中したいので帰国してきてください」と言われ、留守を預かってくれた夫には「お家が一番ですね」と言われました。その通りだと思いますが、今回はほとんど外出できなかったので、落ち着いたらもう一度海外旅行を計画しようと思っています。

 

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記事を書いた人

工藤浩美

白百合女子大学国文科卒業後、総合商社勤務。
その後通訳・翻訳エージェントに2社、合計11年間勤務。通訳コーディネーターとしてこれまでに数百件の通訳現場のサポートを行なう。 2001年7月に株式会社テンナイン・コミュニケーションを設立。趣味はシナリオ執筆。

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