父とお酒を飲んだ日
先日本棚の整理をしていたら昔のアルバムが出てきた。父の写真はほとんどない。なぜか当時庭にブランコがあってその時の一枚。
私はイケメンで神経質な父と、明るくて豪快な母の間に生まれ、田舎で野生児のように育った。父は九州男児で教職者、一言でいうと真面目で堅物。冗談もめったに、いや絶対言わない。素面では無口な父だが、無類の酒好きで酒豪。酔うと饒舌になって下手な冗談を言ったりする。母が夕方に来客もないのに玄関の明かりをつける日は、決まって父の帰りは遅かった。千鳥足で帰って来る父が庭で転ばないように、玄関の明かりをつけるのだ。
父は酔いが回って饒舌になるといつもテーブルの上に腕を乗せて、背広の袖をこぼれた酒で濡らしてしまう。母はそのままにしておくと梅雨時は袖にカビが生えるからと、オキシフルを布に含ませて、背広の袖をトントンと叩いていた。
純文学を読み漁っていた私に、担任の先生が大学の進路相談の時に東京のある4年生大学の国文科を勧めてくれた。当時両親は私を地元の短大の保育科に進学させたがっていた。「保母さん=いいお嫁さん候補」という両親の価値観に反発し、東京の大学に行きたいと駄々をこねた。父は猛反対し、私は部屋に閉じこもり2日間夜通し大きな声で泣いた。
すると拍子抜けするぐらいあっさり認めてくれたのだ。娘の泣き声に折れたのかと思っていたら、ずっと後になって事の真相を聞いた。私の担任の先生の妹さんが、父と同じ学校で国語を教えていた。預かった私の読書感想文を見せて「もっとお嬢さんに文学の勉強をさせたらどうでしょうか?」と言われて、父はなすすべもなく進学を許してくれた。
無事大学に合格して、日々無口になる父とは対照的に、私は東京に行く日を指折り数えて楽しみにしていた。後数日で上京するという夜のこと、いつものように夕方母が玄関に明かりをつけた。
私は学生寮に入る予定だったので、まるでボツワーグ魔法学校に入学するかのような気持ちで持ち物リストをチェックしていた。リストの中に夏用と冬用のガウンを用意することと書いてあった。寮の廊下はパジャマのまま歩くのは禁止されていた。生まれて初めてガウンを買ってもらった私は、そのガウン姿を鏡に映して、大人になった気分で有頂天になっていた。
その日父は珍しく早く帰ってきた。そして私の前に日本酒を差し出して一緒に飲もうと言い出したのだ。私は未成年だし、中学生の時にこっそり梅酒を一杯飲んで寝込んで以来、アルコールは一切口につけていない。「これから東京に行ったら、お酒を飲まされて危ない目に合うかもしれない。自分の飲める限界を知っていた方がいい」と父が言った。私は父の期待を裏切ってとてもお酒が弱かった。顔も性格もお酒も母に似たのだ。
今は天国いる父を思い出す度に、愛されていたなぁと思う。あのまま地元の短大に進んでいたら、まったく別の人生が広がっていただろう。