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わくくり岩

工藤浩美

工藤浩美の東へ西へ

「ぼおーやーよい子だ、ねんねしなぁ~」という歌でスタートする日本昔話は小さい頃から毎週欠かさず観ていました。特に一つだけ今でも記憶に残っている物語があります。記憶を頼りに検索してみると「わくくり岩」という1977年に放送された物語でした。ちょっと長文になりますが、あらすじを添付したいと思います。

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あらすじ

昔、広島県安芸郡に三田峠(みたがだお)という峠に一軒の家があり、お婆さんが機を織って暮らしていました。

ある暑い夏の日。旅のお坊さんが「水を一杯ください」とたずねてきたので、お婆さんはめんどくさがらず、家の裏から冷たい谷川の水をくんで手渡しました。

親切なお婆さんに感心したお坊さんは、機織りの糸を入れている管(くだ)を手にして、ごにょごにょと唱えました。お坊さんは「これからはこの管からいつまでも糸が出続けます。でも決して疑ったらいけないよ」と、不思議な事を言い残して去って行きました。

それからというもの、本当にお婆さんの糸はいくら使っても、全く減りませんでした。やがてこの事は庄屋さんの耳にも入り「その糸で正月までにワシの着物を織ってください」と、お婆さんに依頼しました。

お婆さんは毎日毎日機を織り続け、大晦日にはもう少しで織りあがるところまで仕上がりました。ホッと一息したお婆さんは、ふと不思議な管の事が気になり始めました。「管の中はどうなっているんだろう」と、管を覗いたりつついたりしてみましたが、これといって仕掛けはありませんでした。

日も暮れはじめ、お婆さんは機織りの続きを始めましたが、どうしたことか管から糸が出てこなくなりました。慌てたお婆さんは、外の雪明りを頼りに、糸をつむぐわくくりを使って、冷たい雪の降る中でカラカラと糸をつむぎ始めました。やがて夜も明けて、元旦の朝になり、庄屋さんがお婆さんの家までやって来ました。すると、大きな岩の上に座り、わくくりを握ったまま凍え死んでいるお婆さんを見つけました。

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以上がわくくり岩のあらすじです。凍え死んでいるおば婆さんの姿が脳裡に焼き付いています。この物語が何を言わんとしているのか、今でもよく分かりません。ただ私はテンナインを起業して19年、一人でスタートした会社ですが、本当にありがたいことに登録者は9000名を超え、年間3000件以上のご依頼をいただいております。段々規模が大きくなるにつれ、時々このまま糸を紡ぎ続けて大丈夫だろかとふと不安になった時に、「わくくり岩」の話しを思い出します。私たちが提供するサービスに自信を持ち、糸は永遠に出続けると信じ、立ち止まることなく進みたいと、自分自身に言い聞かせています。

Written by

記事を書いた人

工藤浩美

白百合女子大学国文科卒業後、総合商社勤務。
その後通訳・翻訳エージェントに2社、合計11年間勤務。通訳コーディネーターとしてこれまでに数百件の通訳現場のサポートを行なう。 2001年7月に株式会社テンナイン・コミュニケーションを設立。趣味はシナリオ執筆。

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