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飛込み営業

工藤浩美

テンナインヒストリー ~挑戦への軌跡~

企業は画期的な新製品を開発しても、どんなに素晴らしいサービスが提供できるとしても、ホームページを作っただけでは顧客を見つけ出すことは出来ません。インターネットの大海原の中で、あっという間に埋もれてしまいます。考えてみたら世の中素晴らしい商品やサービスは星の数程ありますが、難しいのはそれを必要としている顧客に知ってもらい、購入してもらうことです。

1人、やっとそろったパソコンとコピー機を目の前にして考えたことは「テンナイン・コミュニケーション」のサービスを一人でも多くの人に知ってもらうにはどうしたいいのだろうかということです。待っているだけでは電話は鳴りません。営業するしかないのです。ただ当時私は営業経験が全くありませんでした。テレアポの方法もよく分からなかったので、飛込み営業をしようと決心しました。まずA4を3つ折りにしてカラー印刷した簡単な会社のパンフレットを作成しました。また「代表取締役」の肩書の名刺で飛び込み営業をすれば、一人起業だとわかってしまうので、営業用に「通訳コーディネーター」という肩書の名刺を発注しました。

毎朝9時少し前に都営バスでビジネス街に出かけます。前にも書きましたがいつ転送電話がかかってくるか分からなかったので、移動はバスと徒歩のみ。「今日は大手町」「明日は品川」というように場所を区切って外資系企業が多く入っている大型ビルを上から下まで飛込み営業をしました。今でこそセキュリティーが厳しいのですが、18年前は受付まで入れるところが多かったのを覚えています。それでも「門前払い」がほとんどでしたが、時々受付の女性がパンフレットを受け取ってくれる時もありました。何十社に1社、話を聞いてくれる企業もありました。

起業前に11年間のコーディネーター経験があるので、通訳・翻訳に関して聞かれた質問は全部答えることが出来きました。当たり前と言えば当たり前ですが、それがとても楽しかったのを覚えています。また仕事は取れなくても、最初からゼロはゼロ。飛込み営業で何かを失う訳ではありません。気を取り直してまた次のドアを叩くという毎日は、私にとってとても刺激的でした。2001年の7月はとにかく連日猛暑でした。疲れたら近くのホテルや銀行のロビーで涼んでいました。夕方家に帰ったら、企業に営業メールを何百通と送る毎日が続きました。最初の一ヶ月は売上ゼロ。そして㋇に一件の仕事の依頼を受けることになるのです。

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記事を書いた人

工藤浩美

白百合女子大学国文科卒業後、総合商社勤務。
その後通訳・翻訳エージェントに2社、合計11年間勤務。通訳コーディネーターとしてこれまでに数百件の通訳現場のサポートを行なう。 2001年7月に株式会社テンナイン・コミュニケーションを設立。趣味はシナリオ執筆。

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