マルチリンガルのわたしが出会った宝物のような2つの話
「心が通じ合う」という経験を、人生の中でいったいどれほどできるのだろうかと思ったりします。
言葉がなくてもお互いに分かり合えることの素晴らしさ、また、言葉の力でお互いの心の深いところまでたどり着いたときの喜び。昨日まで未知だったことが、今日にはなじみのものになるワクワク。こういったことを経験してしまい、私は機会があるごとに、さまざまな言語を学習してきました。
駅で道案内をしてあげたトルコ人の男の子とおしゃべりした帰り道にトルコ語の本を買って帰ったり、チェコから来た男の子をびっくりさせようと、オンラインの教材で発音を猛練習して驚かせたり。
ちゃんと身に着けた言語もありますが、並々ならぬ情熱を投じたが、心とは裏腹に身につかなかった言語などさまざまです。そんな私が、「宝物」のように大切にしている思い出を書いてみたいと思います。
上海の女の子の話
私は、中国語の発音は、しくみは理解できるのですが、なかなか上手になりません。というのも、中国語との付き合いは、「書く」ということがほとんどだったからです。なぜ「書く」ことがほとんどかと言うと、ちょっとしたきっかけで始めた、ある女の子とのメールのやり取りが、かれこれ10年以上ずっと続いているからなんです。
最初は、お互いの共通言語である英語でメールしはじめて、せっかくだからとちょっとしたひと言を中国語で書くようになると、彼女も中国語の量が増えていく。母国語で書くだけに、一層核心に近い話になる。家族の話、キャリアの話、クリエイティブであること、自分の居場所を見つけること。。。
それに応える中国語を返したいと、中国語の本を買い集めては、自分が伝えたいことに近い文をさがして、ノートに書き写し、それを組み合わせてメッセージを書くようになりました。今、見返すと恥ずかしいのですが、若者が夢や希望、不安を語る率直な言葉の数々。。。
彼女が日本にやって来た時には、あちらこちら案内しましたが、メールではあんなに饒舌な中国語は、全然話せず。でも、お互いの考えていることは、手に取るように分かって、電車に一緒に乗ってただ隣に座っているだけで、たくさんのことを話した気分になりました。
お互いに忙しくなると、「最近会ってないけど、元気にしてる?」から始まるメッセージが増えたり。そんな彼女もいろいろあって、ドイツへ渡ったり、お互いに仕事を変えたりしながらも、ずっとお互いを気にかけてきました。
落ち込んだときや、嬉しいことがあったとき、相手にかける言葉って何だろうかと考える。そうすると、おのずとフレーズを探したり、辞書を開いている。言語を学ぶってそういうものなのかなと思ったりします。
ポーランドの女の子の話
「人生で一番幸せだった1ヶ月はいつですか」と聞かれたら、迷わずに、「ポーランドでの1ヶ月」と答えると思います。それほどに、ポーランドでの思い出は心に残っています。
芸術家一家のその子の家に泊めさせてもらったのですが、自分も彼女もちょうど家族にいろいろなことがあったときで、そんなことをお互いに察したのか、すぐに深い話をするようになりました。
「せっかくポーランドに行くのだし」と、事前に簡単な教科書を何十回と聞き、フレーズを整理してノートにまとめて、持参はしていましたが、いざとなると相手はつたない英語、自分はつたないポーランド語。
なのに、絞りだしたお互いの言葉は、それぞれの気持ちの一番核心に近いところを言い当てていて、「心が通い合うというのは、こういうことなのか!」と感動に震えた記憶があります。
初夏のポーランド。郊外の家や片田舎の別荘など、どこに行っても緑に囲まれていて美しいのですが、遊ぶところはないので、することはただ一つ。おしゃべりでした。
どこまでも麦畑を歩きながら、または草原に寝転がりながら、公園の噴水を眺めながら、時間を忘れてふたりでずっとおしゃべりしていました。
ポーランドの有名な女性詩人の詩集がずっと欲しかったのですが、町の本屋さんでついに手に入れ、喜んで読んでいると、いつの間にか「詩人」と呼ばれ、近所の人には「よっ!詩人。」と言われる始末。そんな出来事のひとつひとつが、目を閉じると今でも全て鮮やかに再生できます。
言葉を使った仕事をしているので、言葉の力をいつも信じていますが、この時の経験から、「分かり合う心がふたつあれば、言葉はいらないかもしれない」とも思うようになりました。
「家に入って来てあいさつしてくれた瞬間から、家じゅうが明るくなった気がしたの。」そんな風に彼女が言って笑ってくれたように、宝物のような瞬間は、こうして言葉に出し、ピカピカに磨いて、いつまでも輝かせていたいなと思います。
ROZNOWA Z KAMIENIEM
Wisława Szymborska
– Jestem z kamienia – mówi kamień –
i z konieczności muszę zachować powagę.
Odejdź stąd.
Nie mam mięśni śmiechu.
石との会話
ヴィスワヴァ・シンボルスカ
「自分、石なんで。」石は言う。
「だから、しかめっ面していなきゃいけないんです。
あっち行けよ。
自分、笑う筋肉もないんで。」