英語を仕事にした私が出会った「宝物」のような2つの話
ふとした瞬間に、心の奥にしまわれていた思い出が蘇ることってありますよね。自分は大人になってから英語を身につけたのですが、その過程で、英語ノンネイティブ同士だったからこそ、一層強く思いを伝え合った、そんな思い出深い瞬間がいくつもあります。
今回は、私が英語を仕事にするようになるまでに出会った「宝物」のような瞬間を2つ、紹介しようと思います。考えただけで涙が出てしまいそうなので、最後まで続けられるか心配ですが、書いてみます!
ハンガリー人の男の子の話
あれは私が20歳過ぎのころ、ハンガリーから知り合いの男の子が日本に遊びに来るというので、「ぜひ東京を案内してあげるね」と、彼の滞在中、いろいろな所へ連れて行ったことがありました。当時彼は、私より5〜6歳ほど年上で、いろいろと苦労もしていた人だったので、話にも含蓄があって、若いけど大人の雰囲気があり、信頼を寄せていた私は、いろいろな話をしました。
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「海のない国ハンガリーから来たのだし」と、ある日江ノ島へ足を伸ばし、サザエの壺焼きを食べたり、目の前に太平洋が広がる岩場に佇んで二人でじっと海を眺めたりもしました。
いつか自分が英語を仕事にするなんて夢にも思っていなかった当時、まだ見よう見まねで英語を勉強していた私の英語がどれほど彼に伝わっていたかは分かりません。でも、将来の進路に漠然とした不安を抱えていたころ、誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれません。
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いよいよ彼がハンガリーへ帰る日の朝、成田空港で朝食を食べていたときのことでした。彼は、ハンガリーでの生活が厳しいこと、アメリカへ出稼ぎに行くのだということを教えてくれました。そして、「あのね。伝えておきたいことがある」と言って、彼は優しく話し始めました。
「将来のことやら不安があって落ち込むこともあるかもしれないけど、家を建てるときには柱が必要でしょ。今は深い穴を掘って丈夫な柱を立てているところなんだよ。だから大丈夫だよ。」
その優しい言葉と、圧倒的な安堵感に涙が止まらず、思わず声をあげて泣いてしまいました。周りの人からは、よっぽど別れが辛いのだろうと思われたかもしれません。
お互いにノンネイティブのぎこちない英語だったけれど、真心を伝え合えたという充実感と、もっとうまく思いを伝え合いたかったというもどかしさが、今でも鮮明に思い出されます。
フランスのマダムの話
英会話講師になる前、私は様々な言語に興味があって、中でも、フランス語は特に好きで、自分のフランス語力を試してみたくて、パリの語学学校に通ったことがありました。1週間のホームステイもして、お世話になったフランス人のマダムは、大学で政治学を教えていて、アカデミックな雰囲気が私にはとても合っていました。
2人でマルシェへ買い物に行ったり、夕暮れの坂道を散歩したり、「ほら、ここから見えるパリの街。素敵でしょ」と言ってお気に入りの小道に案内してくれたり、その間ずっとおしゃべりをしました。日が暮れて、アパルトマンのキッチンの窓から外を見ると、周りの小さな窓にもポツポツと明かりが灯る、そんな様子を眺めながら2人で夕食の支度をしたりしました。
パリのアパルトマンの小さなキッチンの小さなテーブルで、2人で囲む素朴な夕食は、異国の地にあっても、Homeと感じるような素敵な時間でした。
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自分のキャリアや生き方についても相談していたある日の夕食で、「大事な話だからちゃんと分かってほしい。だから、あなたがちゃんと理解できる英語で話すわね」と言って、フランス語だけで話していたマダムが英語で話し始めました。
「あなたは、人と違うことにまだ自信がないようだけれど、大丈夫。あなたにはエレガンスがある。」そう言いながら誠実な眼差しで見つめられ、私は感動のあまり、何も言うことができませんでした。
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パリジェンヌに自分のエレガンスが認められた。その喜びと感謝を何とか伝えたくて、メッセージカードを渡すことにしました。旅の最中ずっと持ち歩いていた詩集から一編を書き留め、帰国前の夜、マダムに手渡しました。
「ありがとう。私にピッタリの詩ね」そう言って喜んでくれたときの瞳は、キラキラ輝いていて、自分が人生で出会った笑顔ベスト3に入るような、そんな素敵な笑顔でした。今でも、そのときの、世界が一瞬明るくなるような笑顔を思い出すだけで、心が暖かくなります。
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英語を身につける過程で出会った人たち、お互いに英語ネイティブでなく、不完全な英語だったからこそ、一層強く、思いを伝えたかった。その結果、言葉以上の思いを伝え合えたように思います。
言葉の前に思いがあって、誰かのことを大切に思うとき、素敵な言葉が生まれるのだなと思います。
本当に素敵な人たちに出会えて、忘れられない思い出があって、それだけで頑張れる気がします。そんな「宝物」のような瞬間を、ときどき取り出しては磨くように、これからも大切にしたいです。