HOME > 通訳 > マリコがゆく 第16回〜第20回

マリコがゆく
覗いてみませんか?、あなたの知らない通訳者の世界。
普段、表では「語られないかも」しれない通訳の実態、 要望、ホンネ、ときどき不満を現役通訳者マリコがお届け。時に過激に、時に優雅に。通訳者マリコは今日もゆく!
 
 

わたしが仕事に持参する資料や通訳メモの片隅には、時々、とても初歩的な英単語が書き取ってあったりします。

もちろん、そういう単語はちゃんと知っていますよ。でも「聞いてその単語の意味がわかる」ということと、「その単語が自然に口を突いて出てくる」ということには、かなり開きがあるんですよね

単語が意識の引き出しに入っていると考えてみると、わかりやすいかもしれません。いちばん上の引き出しが、訳すときに使える引き出しだとします。「その単語が自然に口を突いて出てくる」のは、単語がこの引き出しにしまわれているとき「聞いてその単語の意味がわかる」のは、引き出しの5段目か6段目くらいでしょうか。だから、「もっと上の段にしまわなきゃ!」と、意識化するために書いているのです。

だから、書いてあっても、知らないわけじゃないんですよ。お客さまから見たら、「この通訳はこんな単語も知らないのか?」って、信用をなくしてしまいそうですが・・・。

逐次通訳なら、2段目か3段目くらいの引き出しに入っている程度でも、時間の余裕がまだ多少はあるので、「ポン!」と取り出せることもあります。だけどこれが同時通訳となってしまうと、いちばん上の引き出しにしか手が伸びる余裕がないのです。「なんだか限られた表現をさっきから何度も使いまわしてるわ~」なんて、途中で恥ずかしくなってしまうことがあっても、その引き出しにないものは取り出せないのです。だから、「いちばん上の引き出しにいれておくようにする」しかないんですよね

日本語の場合でも、「こういう表現は自然に出てこないなあ」というのをよく拾っては書いています。「普段使っている表現に、こういう表現も取り入れたら通訳の幅が広がるかも」と思えるようなものなど。仕事以外に、勉強でセミナーやシンポジウムに行く時もやっています。参加者のなかでひとり、本題とは何の関係もない、とても異質なノートをとっているわたしです。たとえば、以前参加したとあるシンポジウムのノートは、こんなふうになっています。

長丁場になりますが

官僚主義に侵されている

共に手を携えて

問題が露呈

鎮守の森

爛熟

礼賛

社会代謝

どんなシンポジウムだったかは、みなさんのご想像にお任せします・・・。

 
 
 

「ある島では、かごを表す言葉が何十種類もあるんだよ」

「へえ~。大きいかご、小さいかご、取っ手つきのかご・・・そんな感じ?」

「そうだね。生活に密着したことだからね」

生活に密着していると、語彙って発達するんだよねえ

「だけど逆に、関心が向けられていない領域だと、発達しないんだよ。たとえば、フランス語では『認知症』を表す言葉は英語の"madness"に相当するものしかないんだよ」

「ええ?あんなに文化的に豊かな言語なのに?」

わたしにかごの話をしてくれたのは、ポール・ブライデンさん。奥さんのクリスティーンさんは元オーストラリア政府高官ですが、40代の若さでアルツハイマー病と診断されました。その後、認知症を抱えた本人の立場から「認知症になるとはどういうことか」について発言し、認知症に対する認識を変えていっています。わたしが『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと』という本を翻訳するきっかけになった人です。

彼らが参加した会議には同時通訳がついており、認知症を抱えた人のことを通訳さんが"demented people"と訳していました。そこでポールさんは通訳さんにこう頼みました。

「"demented people"ではなく、"people who have dementia"と訳してください」

「"people who have cancer"とは言うけど、"cancerous people"とは言わないでしょう?癌という病気と、その人自身とはきちんと区別されているよね。認知症だって病気なのに、"demented people"という言い方をしたら、その人の人格までもおとしめてしまう

「ぼけちゃったら、なにもわからなくなって、もうおしまい」

そんな考え方がまだまだ根強いですが、実際にクリスティーンさんと話をすると、その明晰さに驚かされます。

「あなたが認知症?うそでしょ?」

理路整然、的確な言葉。元政府高官というのもうなずけます。でも、そんな彼女が、「スプーンとフォークを区別して片付ける」ことができなかったりするのです。認知症も、その人のバックグラウンドによって、症状も実に様々なのです。

"madness"も。"demented people"も。「ぼけ」も。「痴呆」も。言葉によるスティグマだと思うのです。言葉にかかわる仕事をするひとりとして、スティグマを押してしまうことのないように心がけていきたいですね。

 
 
 
「通訳さんも食べてください」

そうおっしゃる心優しいお客さま。でも皆さん、けっして話はやめてくれません。食べようったって、そりゃ無理なのです。

「いえ、わたしは大丈夫ですので。どうぞ、お続けください」

お仕事モードのわたしは心からそう言います。すると、皆さん、素直に続けてくださいます。わたしのおなかも素直なので、時々グーグー鳴ります。

すいません、食い意地がはっているもので。ごはん、大好きなんです。

「あ、あのおいしそうなものはなに?」

気が散って仕方ないです。ホントは通訳どころじゃありません。おあずけ状態です。

通訳前は食べる気にならないし。終了後、食事を別に用意して頂ける席もあったりしますが。先にちょっと食べて、終了後に残りをもらえるとうれしいなあ・・・なんて、あつかましいことを考えてみたりして。

社内通訳の場合、「朝は外部とミーティング。午後も外部とミーティング」というスケジュールのときに、「じゃあ、ランチの時間を使ってチームミーティングをしよう」などと言い出す輩・・・じゃなくてお客さまがいらっしゃいます。「わたしを飢え死にさせようっていうの?」と、顔がひきつります。仕方なく食べながらやろうとしますが、結局あんまり食べられないんですよね。通訳って、訳しているときだけじゃなくて、聴いているときも当然すごい集中力がいるわけです。ちょっとした世間話のようなことならいいですが、内容のあるものだとメモもとりながらやるし。ごはん通訳は、かなり高度な技ですよね。

とはいえ通訳も体力勝負。食べないことには身体がもちません。

「どうせ話し出したら、わたしは食べられないでしょ?先にまず食べ終えてからミーティングにしましょう。黙って早く食べてね!」

よく知った仲だと、そんな実力行使に出ます。そして優雅なマナーなどいってられないので、ひたすらかっこみます。あまり見たくない自分の姿です・・・。

でも、単発のお仕事では、「お料理なんて興味はないんです。わたくし、通訳ですから」の仮面をかぶっております。目の前にたまっていくお皿の数々。そして話も終盤に入り、運ばれてきたデザート。ヨーグルト風のやわらかそうなもので、これなら訳しながらでも食べられそう!手を伸ばしかけた瞬間、店員さんの声。

「お客さま、お時間です」

デザート、おいしそうだったなあ。何のソースがかかってたのかなあ・・・。未練たっぷりに、引き上げたのでありました。」

 
 
 

「じゃあ、15分交替でいきますか?」

同時通訳で、他の通訳さんと組む場合。もともときちんとしたアジェンダがないようなディスカッションなどの場合は、時間単位で担当を決めますよね。

この15分。はじめの頃は、かなり余裕なんです。

「あ、もう15分たっちゃった。もう交替?まだまだいけるわよー」

みたいな。でも、これが後半になってくると・・・

「ええ~っ!まだ5分しかたってないの!?な、長い!長すぎるよ、15分―!!

気が遠くなりそうです。

ちょうど、リレーでバトンを渡す直前の状態によく似ています。「もうダメ、倒れるーっ!!」という感じで、交替します。

「つらそうだもん、替わるよー」

そう言いたげに、相手の通訳さんが替わってくれます。で、15分後には、今度は相手がよれよれに。

「つらそうだもん、替わるよー」

そんな感じで今度はわたしが交替。お互いゼイゼイ言っていたりします。

もっとつらいときは、15分もちません。途中で真っ白になりそうになって、お互いに交代しあったり。マイクを奪い合うようにして助け合います。

1回しかご一緒したことのない通訳さんでも、大変な会議だったりすると、すっかり同士愛のようなものを感じてしまいます。だって、究極の状況で助け合うんですもんね。「戦場での激しい戦いで生まれるアツい友情」・・・といったところでしょうか。短時間で一気に仲良くなるには、つらい会議で組んで同時通訳をするのがいちばんいいのでは?恋のひとつやふたつ、芽生えてもよさそうなものですが。どっかで芽生えてないですか?

かなりもめそうな会議や、ハードなお仕事の場合。よれよれでマイクを奪い合い、助け合う姿が始まる前から想像できます。でも、「疲れてるかな?あ、ここはちょっとつらそうかな?じゃあ、代わろうかしら?」と思っても、「でも、失礼かも?」なんて、最初のうちはお互い遠慮しがちなもの。はじめてご一緒することも多いわけですから。いきなりマイクを奪っちゃうのはさすがに気が引けます。だから、そんな事態を予想して、相手の通訳さんにこうお願いします。

何かあったら、奪ってください!わたしも奪いますから!

 

 
 
 

「チャットの通訳をお願いします」

そんな変わりダネのご依頼をいただいたことがあります。社内通訳をしていた時のこと、「アメリカ本社の重役が世界各国の支社からの質問にチャットで答える」という企画がありました。

「チャットって・・・もしかしてめちゃめちゃ早いんじゃないの?」

それがまず最初に心配になりました。怒涛のキータッチなんかされちゃったら、ついていけるかしら?それにそもそも、画面を見ながらチャットを通訳するって、どんな感じなんでしょうか?

想像がつかないまま、とりあえず事前に出た質問リストだけをもらって本番に臨みました。会場には40名ほどの参加者がいたんですが、チャットで答えるのが本社の重役とあって、当然こちらも重役クラスオンリーです。なれない形態の通訳に、更にプレッシャーがかかります。会場前方にはスクリーンが用意されていて、そこにチャットの様子が映し出されるとのこと。

そのスクリーンを見ながら通訳してほしいと言われたのですが、あまりにもやりにくそうです。そこで、代わりにPCの画面を見ながら通訳するようにしてもらいました。もうひとりの社内通訳さんと一緒に、PCにくっつくようにして通訳していきます。

心配していた怒涛のキータッチはなく、スピードはそれほどでもなかったものの、PCの画面を見ながら通訳するって、とってもやりにくいです・・・

だって、通訳って、聞こえたものを通訳するようにできているんですよね。もちろん、原稿がある場合に備えての練習もしていますし、サイトラっていう技術だって当然あるわけです。でもその場合、あくまでも「原稿は手元にある」のが前提。そこでスラッシュを入れたりしながら読んでいけるんです。PCの画面じゃ、書き込みなんてできないし。どこまで訳したかもわからなくなっちゃいます。

誰か、これ、読み上げて!

プチギレしながら、乱視の相方通訳さんと超近視のわたしは画面にくっついて通訳していたのでした。

 

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プロフィール

寺田真理子

寺田 真理子さん
幼少時から中学までを、メキシコ、コロンビア、ベネズエラにて過ごす。東京大学法学部卒業後、国際会議コーディネーターを経て、通翻訳者デビュー。その後、数社にてインハウス通翻訳を経験し、2004年にフリーランス通翻訳者として独立。出版翻訳も手がける。