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Training Global Communicators

Vol.64 「夢はいつでも近くにある」

【プロフィール】
槇田麻衣子さん Maiko Makita
お茶の水女子大学を卒業後、通訳になりたいという夢を持ちながらも英語にあまり触れない環境で仕事を続ける。徐々に通訳の仕事へ近づき、インハウス→フリーランス→インハウスという異例の流れから、現在は高崎より新幹線通勤をしながらフリーランスの通訳者として多方面で活躍中。

Q1:まず槇田さんの英語との出会いから教えて頂きたいのですが、どの辺で興味を持たれたのでしょうか。
 英語との出会いは公立の中学校の授業からです。英語が特に得意という訳ではありませんでしたが、高校生の時Teaching Assistantという形で横田基地に住んでいる外国人の方の授業を受ける機会がありました。人生で初めて「外国人」という方と接したのですが、質問にも全く答えられず無言になりました。先生から英語ができなくてもYesかNoだけでも答えるように言われ、言葉が全く違うのに意思が通じるのに感動し、そこから少し英語に興味を持ち始めました。そして英語学を学ぶためにお茶の水女子大学の英語学専攻へ入学しました。

Q2:英語を使って仕事をしようと思ったきっかけは?
 元々母親の影響です。母は洋楽が好きで、私自身もデュランデュランのベースギターのジョン・テイラーというミュージシャンに夢中になりました。大学生の時は「私は絶対この人と結婚する!!」と宣言し、もしも彼と結婚したらイギリスに住んで、パパラッチのインタビューを英語で受け答えしないといけないと妄想し(笑)会話を英語でシュミレーションしたり、ジョン・テイラーのインタビューを片っ端から英語で聞いていました。その中に「THANK YOU」とインタビューアーが言ったのに対し、ジョン・テイラーが「MY PLEASURE」と答えるシーンがありました。義務教育では"THANK YOU"と来たら"YOU'RE WELCOME"が対になっていたので、"MY PLEASURE"という美しい言葉の響きに惹かれました。いつの日か英語を日本語に上手く訳せるようになって、ジョン・テイラーの素晴らしさを世界に伝えたいという強い気持ちから通訳者になったと言っても過言ではありません。今考えてみると飛躍的に英語力が伸びたのもその時期です。人間の思い込みのパワーはすごいですね。

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Q3:大学卒業後はすぐに通訳のお仕事をされたのでしょうか?
 いいえ、私は通訳者になったのは、ずっと後のことです。大学卒業後に最初の会社は旅行代理店に就職しました。次に通訳・翻訳を扱う会社に転職しましたが、私のポジションはあくまでもコーディネーターでした。その後 IT関係の会社で研究所の準社員になりました。その頃通訳ではないのですが、外国人を相手に技術説明をする仕事をしました。そうやって転職を続けたのは、心の中に少しでも通訳の仕事に近づきたいとう気持ちがあったからです。 その気持ちは日増しに強くなり、通訳学校に通い始めました。

Q5:仕事と通訳学校の予習復習はどのように両立されていたのでしょうか?
 振り返ってみると最初は全く出来ていなかったと思います。新卒で入社した会社では、平日は仕事で手いっぱいでした。事前準備が出来ない状態で授業に出席していましたので、当然出来も悪く、他のクラスメートの人に申し訳ないと思っていました。仕事が忙しくてしばらく学校に通えない時期もありました。ただそういう時も夏休み短期コースだけは通うなど、なるべく学校は完全に辞めないよう工夫して、地道に勉強を続けました。

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Q6:最初の通訳者としての仕事について教えてください。
 2001年に初めてインハウス通訳者として仕事をスタートしました。グローバルのアジアパシフィックというリージョン専属通訳者という位置づけで入社をし、通訳者デビューはIT部門付きの通訳でした。東南アジア担当のIT部門の人たちと日本のIT部門の人たちとの橋渡しの通訳です。当時は1年の半分くらいは海外出張でした。最初の2年がIT部門、大きなプロジェクトが一つ終了した後、残りの2年は他部署に声を掛けていただき、マーケティングや会計などの通訳を行いました。

Q7:ちょうどその頃テンナインにご登録いただき、フリーランスになられましたよね。驚いたのは1年ほど順調にフリーランスとしてお仕事をされて、またインハウスに戻られたことです!何か心境の変化がありましたか?
 1つはフリーランスを初めて経験し、当然外から通訳者として会議だけ関わるのですが、物足りなさを感じ始めていました。それまでインハウスとしてチームで仕事をやっていので、寂しいという表現が一番合っているのかも知れません。クライアントの方々にはとても親切に接していただいたのですが、当時フリーランスという立場をよく理解しておらず、必要以上にクライアントと線を引いていたのです。通訳以外にもチームの助けになるような事もやりたいと思い始め、その時にテンナインのご紹介で外資系コンサルティングとお仕事をするようになりました。仕事に対しては非常に厳しかったのですが、そこで働く人がとても尊敬できたので8年間という長い期間働くことが出来ました。コンサルティング会社の一番の財産は人材です。その会社には人をとても大事にするという企業風土が根付いていました。お互いを尊重もし、勉強したいというモチベーションを重視し、助けていただいたことは今でも感謝しています。

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Q8:非常に激務だったと思いますが、過労で倒れられたこともあるとお伺いしました。
 はい、要求されるものが高かったので、とにかく毎日ついていくのに必死でした。当時は業界も多岐に渡り知識を取得するのが大変で、受験生のように毎日夜中まで勉強していました、プロジェクトが佳境を迎えるタイミングが重なってしまう時期は、徹夜や明け方に少しだけ寝てそのまま出勤という日も続きました。その会社では私が初めての社内通訳者ということもあり、最初の数年は休みを取ることも出来ませんでした。ただ辞めようと思ったことは一度もありません。仕事が面白かったですし、やはりそこで働く人が素晴らしく、忙しい中でも行き帰りに車の中でお話しをするだけで刺激を受ける毎日でした。ただあまり食事も睡眠もとらず徹夜を続けていたのですが、自分の体力を過信して倒れたことがあります。結果仕事に穴をあけてしまったので、深く反省しました。以前は徹夜をすることはイコール会社に貢献しているという意識だったのですが、体調管理も自分の仕事の一部だと意識を変えることが出来ました。

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Q10:ではまたフリーに戻られたきっかけは何でしたか? ご結婚でしょうか?
 結婚よりは放送通訳への興味の方が大きかったと思います。(笑)初めから放送通訳者を目指していた訳ではなく、スキルアップのために放送通訳の勉強を始めました。社内通訳では英訳の機会の方が多く、日本語訳のアウトプットを上達させたいと思ったのがきっかけです。ただ実際に挑戦してみると、放送通訳と会議通訳の違いに最初は戸惑いました。最初は公共の電波に乗せるのが申し訳ないくらい全く訳せなかったのです。何度も諦めかけたのですが、先輩や学校の先生に、せっかくのチャンスだからもう少し続けなさいと励ましていただき何とか諦めずに続けることが出来ました。今は週1回3時間のシフトで現場に入って生同通をしています。どんなトピックが出てくるか全く分かりませんので会議通訳とはまた違った緊張感があります。先輩通訳者の方々は仕事だけでなく、休日もきちんと取られて、オンオフが充実した生活を送られていています。私生活を楽しみながら、そういった心の余裕を仕事に活かしていらっしゃる様子も拝見し、自分もそういう方向に持って行けたらいいなと思いました。まだまだこれからですが、ようやく周りの人を見て学んだところです。最近は家庭菜園にも挑戦しているんですよ。通訳という仕事は全く違う言語を話す人たちが、通訳の存在を全く考えずに、通訳者を介することによってビジネスの会議などで対話が成り立ち、お互い得たいと思っている情報を得られているという瞬間を見ている時が、やはりやっていてよかったなと思う時です。今は本当に毎日が楽しく、充実しています。

Q11:通訳学校での勉強がメインだったと思いますが、お勧めの勉強法はありますか?
 これは通訳学校の先生もアドバイスされるかと思いますが、復習がとても大事だということです。学校の教材は本当によく出来ています。その教材を何度も復習することによって、自分のものにしてください。授業で間違いを直されてなんとなく理解したつもりになっていても、翌日にもう一回見直してみるとやっぱり忘れてしまっていることもあり、とにかくやりっぱなしにせず復習することです。

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Q12:今必ず毎日やっているトレーニングはありますか?
 CNNを見ること、PBSのシャドーイング、そして新聞の日本語音読です。CNNは放送通訳のシフトで入るようになってからは毎日見ています。時間がない時はビデオに撮って通勤の新幹線の中で見たりしています。あと、PBSをiPad入れてシャドーイングをしています。PBSは3段階に分かれていて、通常のニュースの速度で流れているPBSのもの、スタンダードで少しゆっくり流れるもの、英語を勉強する人の教材用にすごくゆっくり流れるものがあります。ニュース速度でのシャドーイングは難しいですが、スタンダードのスピードでシャドーイングのトレーニングをします。スクリプトもついていますが、機械翻訳をされている訳なのであまり読まず、ただ辞書を引かなくていいという意味で利用しています。また通訳学校の先生のアドバイスで新聞を日本語で音読するようにしたところ、よりスムーズに日本語の訳出しが出来るようになりました。

Q13:最後に通訳を目指すたまごたちにメッセージをお願い致します。
 昔帰国子や留学経験が無いと、通訳者にはなれないと言われたことがあります。私自身も一旦は夢を諦め普通に就職をしましたが、通訳の「つ」の字も無い仕事をする中で、私一体何をやっているのだろうと苦しんだ時期が長くありました。しかし振り返ってみると、その時に勉強したITの知識や、二度とこんな言葉は使わないだろうと思っていた専門用語、ネットワーク系の言葉が、後になって通訳の現場で出てきたこともあります。それは今通訳者になって昔を振り返るとわかることなんです。当時はどんどん夢から離れていっていると思ってとても焦っていました。このインタビュー記事を読んでいらっしゃる方の中には、地方在住の方や、学校へ行く時間が無い方、色々な事情でなかなか通訳のお仕事をすぐに始めることができない方がいらっしゃると思います。でもそういう方でも通訳者になりたいという気持ちさえあれば、今やっていることは必ずいつか通訳に活きてくると思って欲しいですね。私自身がまだ勉強中の身なので、アドバイスと言えるかどうか分かりませんが、夢はいつでも近くにあると思います。

編集後記
穏やかな印象の槙田さんですが、心に秘めていた通訳者への夢に対する思いはとても熱いものだったようです。一旦夢を諦めながらも徐々に通訳者へと近づいていくお話は感動しました。ご活躍中の現在でも勉強に対してストイックな姿勢は、本当に素晴らしいです!!これから通訳者を目指す方々も 「夢はいつでも近くにある」事を忘れずに、困難を乗り越え実現していただきたいと思いました。


Vol.63「通訳は心のご褒美」

【プロフィール】
高畑美奈子さん Minako Takahata
上智大学を卒業後TBSに入社し、番組企画やレポーターとして数々のニュース番組に携わる。その後特派員としてNYで3年半勤務。帰国後、結婚や出産を経て、プロの通訳者を目指すようになる。現在はフリーランスの通訳者として多方面で活躍。
今後は新しい仕事として、通訳学校の講師の仕事にも臨む予定。

Q1:高畑さんはテンナインに2007年よりご登録いただき、大変ご活躍いただいております。今日はよろしくお願いします。フリーランスの通訳者としてご活躍されてもう10年ですよね。元々英語はお得意だったのでしょうか?
 私は留学した訳でも、インターナショナルスクールに通った訳でもなく、大学までずっと日本で英語教育を受けてきました。ただ海外生活が長かった祖父母が「これからの時代は英語をきちんと身に付けたほうがいい」という教育方針で、特に英才教育を受けた訳ではありませんが家には英字新聞が置いてあり、小さい頃から祖父母が時々英語で話しかけてきたり、朝の食卓ではNHK基礎英語がラジオから流れているような環境で育ちました。今考えると自然と英語力が身についたのかも知れません。

Q2:大学卒業後はテレビ局に就職されたそうですが、お仕事はどんな内容だったのでしょうか?
 TBSに入社しました。当時は男女雇用機会均等法の前でしたので、女子採用、男子採用と別れており、女性は放送記者と呼ばれ、アナウンサーやレポーター、記者の仕事を担当しました。私は外信部という国際ニュースを扱う部署で一番長く仕事をしました。ちょうど湾岸戦争が始まって、国際衛星回線が繋がり、いつでもCNNが観ることが出来るようになり、テレビ局で通訳者の仕事ぶりを拝見する機会も多かったように思います。その時は通訳者を目指していた訳ではありませんが、語学力を生かした専門職があるということは、興味深く拝見していました。私自身も英語が出来るということで、いろんな仕事を任せていただきました。日本でレポーターの仕事をした後、特派員としてニューヨーク支局に派遣されました。支局では支局長、記者が数名、カメラマン1名、それと同じ数ぐらいの現地スタッフがいました。アメリカ東海岸と南米をカバーする支局でしたので、メキシコやキューバにも取材に行きました。人数が少ないので何でも自分でやらなければならない。番組を企画して、アポイントを取り、カメラマンと一緒に取材に出かけ、テープ編集や音付け、衛星と繋いで東京に映像を送り、レポーターまで一人で全部やる生活でした。定時がないようなハードな仕事でしたが、20代で若かったこともあり充実した毎日でした。赴任中にちょうど大統領選挙があり、全米各地にも取材に出かけました。

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Q3:いつごろから通訳者を目指そうと思われたのでしょうか?
 通訳者を目指したのは帰国後、結婚、出産と自分の人生がどんどん変化していったことがきっかけです。「ニュース23」という番組を担当していた時に妊娠したのですが、夜の番組なので、お昼頃出社し夜中に帰るというサイクルではさすがに妊婦生活は無理だと思い、外信部の日勤に異動させてもらいました。子供が生まれてからは出張が難しい等、勤務時間が不規則な記者を続けて行くことが負担に感じました。また大きな企業の中では昇進すると共に現場を離れることも多く、その時 将来のキャリア形成について考えました。英語の教育関係の仕事に興味があり、大学院に行くことも考えたのですが、漠然としてよく分かりませんでした。一方、通訳者はニュース現場でその仕事ぶりを拝見していたこともあって、より具体的にイメージすることが出来ました。

Q4:それで会社を辞めて通訳者を目指されたのですね。実際に勉強を始められていかがでしたか?
 NYでの生活で言葉に不自由しない自分を再発見したことも、通訳者を目指した大きな理由の一つです。まずサイマルアカデミーに通ったのですが、途中のクラスから編入することができ、スムーズに卒業まで行きました。ただ通訳学校に行くまでは英語力にはある程度の自信があったのですが、学校ではなかなか自分が満足するレベルまで出来ず、その口惜しさをバネに猛勉強しました。当時のことは忙しすぎて、どのように勉強していたかあまり記憶になりぐらいですが、ただがむしゃらに育児と家事と仕事の隙間時間を見つけて勉強していたのだと思います。会社を辞めるのは、上司には引き止められましたが、家族の反対はありませんでした。一時的に収入は減りますので、夫には「しっかり稼げるようになるように」と一言だけ言われました。私自身も専業主婦になるつもりは全くありませんでした。

Q5:トントン拍子で卒業されたということは、とても優秀だったんですね。
 そんなことありません。ただ私はニュースの現場にいたので通訳学校の教材には馴染みがありました。また3分程度の海外ニュースを聞いて日本語の読み原稿にまとめる仕事も記者時代よくしていたのですが、これは通訳トレーニングのサマリーにとても似ていました。でも通訳学校を卒業してもすぐに同時通訳の仕事が出来る訳ではありません。そういう仕事が受けられるようになるのは、5年、10年後のことです。学校ではとてもいいトレーニングをしていただきましたが、通訳というのは、たとえ通訳学校を卒業しても医師や弁護士免許のような国家資格があるわけではありません。自分は駆け出しの通訳者だということをコーディネイターに正直にお伝えして、最初は展示会の仕事など、自分が自信を持って出来る仕事を一つ一つ丁寧に受けて経験を積みました。当時展示会の通訳に入った際、クライアントから気に入っていただけて、実は今でも時々ご依頼いただいているんですよ。それまでは大企業(テレビ局)の肩書で仕事をしていましたが、その時は私個人として認めていただいたことがとても嬉しかったのを覚えています。これがフリーランスの醍醐味というか、仕事のモティベーションの原点だと思います。また記者時代はカメラに向かって発信しているので、誰に対して仕事をしているのか直接見えなかった。しかし通訳は同時通訳であれ逐次通訳では尚更、誰のために仕事をするのか、対象者が近くにいるのでダイレクトに伝わってきます。伝えた相手の顔が見え、お客様の反応が直接伝わってくるのが記者時代にはない醍醐味です。

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Q6:社内通訳から始められる方が多いと思いますが、最初からフリーランスをされていたのでしょうか?
 いくつか社内通訳のオファーはいただいたのですが、15年のサラリーマン生活を辞めてやっと手にした自由を手放してなるものかと思いました。(笑)スロースターターだったと思いますが、子供もまだ小さかったので、フリーランスで焦らず丁寧にやろうと思っていました。フリーランスのいいところは家族や自分の状況に合わせて、自分で時間をマネジメント出来ることですよね。今は週に4,5日仕事が入っていますが、子供が小さい時にはスローペースにして、頑張れる今の時期は頑張って仕事を入れています。将来は両親のことや、これから自分も年をとってくるだろうし、うまくコントロールしながら長く通訳を続けていきたいと思っています。

Q7:普段はどんな勉強をされていますか?
 昔は英字新聞を欠かさず読んでいましたが、今はインターネットの動画を利用しています。外国の要人の政府関係者への表敬訪問や各省庁のお仕事などのご依頼を頂くことも多いので、ホワイトハウスや米国務省、日本外国特派員協会のサイトにアップされている動画で通訳の練習をしています。また日英の練習には総理官邸や官房長官定例記者会見の動画を使います。毎日全部やるのではなく、1日30分程度です。国連総会やダボス会議の時期はその動画でも練習しています。残念ながら繁忙期はその30分の時間を作るのも難しいのですが、なるべく続けるようにしています。娘も今年で17歳になりますが「通訳という仕事は毎日が試験前みたいだから、私は絶対に嫌だ」と言っています(笑)

Q8:4月から通訳学校で教えられるとお伺いしました。
 そうです!また新しいチャレンジです。教えることで私自身も通訳を見直すきっかけにもなると思っています。通訳学校で先生に教えて頂いたことは、今でも覚えています。例えば「取り組んでいます」「努力します」「一生懸命やります」など、良く使われる日本語に対して、いろいろな英語表現な表現が出来ることが大事だと教えていただきました。特に同時通訳では焦りから何度も同じ表現を使ってしまうことがあるのですが、いろんな語彙を身に付けとっさに出せることが大切です。学校で学んだことは10年の経験を経ても難しいことばかりです。通訳者を目指す人に、そういうことも伝えて行きたいと思っています。

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Q9:最後にこれから通訳を目指される方にメッセージをお願いします。
 通訳を目指すということは、学生時代のテスト前夜の状況が年中続くぐらい勉強をするということです。たくさん仕事を受けられる通訳者になろうと思ったら尚更のことです。学校を途中で辞めてしまう人も多いと聞いていますが、学校でギブアップするようなら、現場ではなかなか通用しません。学校を卒業した直後は、まだ、本当のプロ通訳への入口のその手前に立ったという段階だと思います。ただその覚悟があれば、大きな心のご褒美がある仕事です。他の通訳仲間との出会い、そしてお客様との一期一会の出会いがあり、刺激的でやりがいのある仕事です。これも学校の先生に教えていただいたのですが、通訳力は右肩上がりにずっと上がっていく訳でなく、少し上達すると次はフラットな時期がしばらく続きます。そこをとにかく我慢して地道に勉強を続けることでまた次の成長があります。メンタルの強さもこの仕事の大事な要素です。私も出来たのですから、みんなも大丈夫だと、学校のクラスでは伝えて行きたいですね。


Vol.62 「夢を実現する力」

【プロフィール】
遠山裕子さん Hiroko Tohyama
2歳から6歳までLAに在住。日本の大学を卒業後大手日本企業に就職。
結婚退社を機に通訳学校に通い始め、プロの通訳者を目指すようになる。
その後自動車、外資金融、飲料メーカー等の企業内通訳を経て、現在はフリーランス通訳者として多方面で活躍中。
2人のお子様を育てながら、通訳学校の講師として後輩育成にも力を入れている。

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Q1:どのようなきっかけで通訳者を目指すようになったのでしょうか?
 父親の仕事の関係で、2歳から6歳まで海外で育ち、小学校入学直前に帰国しました。それから大学卒業まで、英語とは無縁の生活を送っていました。この時期にもっと英語に触れておけばよかったと後悔していますが、当時は自分が将来通訳者を目指すなど思いもよらず、大学卒業後は日本企業に一般職として就職しました。と言うのも、漠然と「結婚して専業主婦になる」のが当時の夢だったんです。現に27歳の時に結婚退職して家庭に入りました。ただ時間に余裕が出来た中、主人からも「折角だから、趣味でも勉強でも仕事でも、何か好きなことやってみたら?」と言ってもらい、何となくずっと気になっていた英語を勉強しようと、いくつかのスクールを見学しました。その中で一番興味を覚えたのが通訳学校でした。とは言っても、当時TOEICで800点前後だった私が入学を許されたのは通訳クラスではなく、英語強化クラス。当時はCNNを見ていても大統領の名前くらいしか聞き取れなかったんです。でも通訳学校での勉強はおもしろく、その後通訳クラスに進級、気づいたら「会議通訳になる」というのが私の次の夢になっていました。

Q2:勉強と育児の両立は大変ではありませんでしたか?
 そうですね。私の場合、色々なことが重なり、通訳学校を卒業するまでがとにかく大変でした。通訳学校に通っている間に一男一女を出産、今振り返ってもこの数年間は記憶にないぐらいに忙しかったです。平日はフルタイムで働き、土曜は通訳学校、日曜は主人に子供をお願いして終日勉強していました。日曜日の朝、主人の実家に向かう主人と娘が乗った車を見送りながら「やっぱり私も行く!」と何度言いかけたことか...。でもフリーランスの通訳者になるという大きな夢があったので気持ちが折れることは一度もありませんでした。第2子出産と通訳学校の卒業試験が重なり、出産予定日3日前まで授業を受け、出産後2週間で学校に復帰しました。家族だけでなく、周りのクラスメートからも「体は大丈夫?」と、と心配をかけましたが、私の中で他に選択肢はありませんでした。いつだったか、先生に「私の通訳としての強みは何でしょう?」と質問をしたことがあるのですが、「諦めないところですね」と即答されました(笑)。「仕事と育児の両立は大変」「仕事と勉強の両立は大変」と言われる中、私は3つを追っていた訳ですから、一秒でも節約できるのであれば何でもしました。私は時間に「ケチ」なんです。

Q3:時間にケチ?面白い表現ですね。具体的にどのようなことでしょうか?
 誰にとっても1日は24時間!足りないと言っても増える訳ではありません。時間のない中で夢をかなえるために、「同じことをするなら最短の時間で」出来るようにいつも工夫してきました。例えば朝の支度時間を少しでも短縮するために、ハンカチは月曜日の朝5枚持っていき、一週間分オフィスに「置きハンカチ」をしていました。そうすることでハンカチの用意は月曜日だけで済みます。1日たった30秒の短縮かも知れませんが、チリも積もれば大きな節約です。それから、お財布が入ったバッグにケータイさえ入れれば出勤できるよう、「置き化粧」や「置きパソコン」もしていました。他にも、本来は食べ物にはこだわる私ですが、昼食は社員食堂のA定食と決めていました。お店まで足を運んだり、メニューを悩んだりする時間を節約して、昼休みには学校の宿題をやっていました。エレベーターも待たずに済むよう、食堂フロアとの往復も移動のピーク時を避けていました。今は子供の成長に合わせて季節毎に衣類や靴を購入しなければならない訳ですが、子供の服も私自身の服も化粧品も購入するブランドを決めていてそのお店にしかいきません。おしゃれの幅は限られるかもしれませんが、十分に満足しています。その買い物をするデパートにも必ず開店時間に行きます。朝一番に行けば駐車場やエレベーター、試着室も待ち時間ゼロで目的を達成できるからです。
 家事は一部アウトソーシングしていますが、料理は毎日作っています。買い物は昼間の空き時間にネットスーパーでオーダーして、その日のうちに配達してもらっています。また娯楽としてのテレビは一切見ません。通訳者として必要な海外のニュース番組や、ワールドビジネスサテライトを録画して、CMは飛ばしながら視聴しています。相当ドライというか「あそび」のない人生だと思われるかも知れませんが、凡人の私が自分の目指す通訳像に向かっていくには、これくらいの覚悟が必要だと思っています。まだまだ何かアイディアがあれば募集したいくらいです(笑)。

Q4:ご自身のことはある程度時間管理出来ると思いますが、お子さんはそういかない時もありますよね?
 そうですね。健康の基本「バランスのとれた食事をよく食べさせ、よく寝かせ」を徹底しています。そして少しでも子供の体調に異変を感じたら、その晩のうちに翌日のシッターさんを手配しています。週末も生活のリズムを崩すようなことは一切しません。月曜日の朝、一番元気な状態で登園し、少しずつ疲れを溜めながら何とか金曜日の夜まで乗り切ってもらう感じです。主人も仕事が忙しく普段は母子家庭のような感じですが、精神的にはとても応援してくれています。そして何より理解を示してくれていることに心から感謝しています。
 自分に少しでも近い経験をさせてあげたい、と娘はインターナショナルスクールに通わせているのですが、テレビから聞こえてきた英語を「なんて言ってるの?」と聞くと、子供の方が変に頭を使わないからいいんでしょうね、意訳でかなりはまる日本語をあててくるんです。「すごいすごい」と褒められ、通訳って楽しいって思っているようです。将来は「モデルになって結婚して赤ちゃんを産んでから通訳になる」と言っています。(笑)家族の理解や応援が支えになっています。

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Q5:通訳勉強法を教えてください。
 私は通訳学校の教材を徹底的に予習復習し、100%自分のものになるまで深く勉強しました。いろんな教材を広く浅くやるより、与えられたものを自分のものにするぐらい勉強したほうが、より身になると実感しています。学校の教材は本当によく出来ています。教材を通して、実践でどのような勉強をしていけばいいのか応用することも出来ます。そして勉強でも徹底的に「時間にケチ」でした。無駄な勉強はしないんです。例えばひとつの教材をただただ最初から最後まで何度も復習するようなことはしません。自分のできる箇所できない箇所の濃淡をつけ、また練習をする時も漠然と練習するのではなく1回1回テーマを決めていました。あとは、日曜日は10時間以上勉強していましたので、長時間集中力を維持するために勉強の順番を考えたり、何かを60分訓練するにも60分を1回やるのと10分を6回やるのとではどちらの方が良いのか効率を考えたり...。時間が足りなかったら、ある時間で最大を生み出すしかないですよね。

Q6:企業内通訳からフリーランスに転向された時、不安はありましたか?
 普通は悩んだりするのかも知れませんが、正直、まだ夢半ばで、悩む余裕もなく、前進あるのみ、でした。今まで長期間勤めさせていただいた会社は、どの会社も恵まれた環境で辞めたいと思ったことは一度もありません。ただ大きな目標があったので、それを達成するためにやむなく「卒業」を重ねてきました。お蔭様でフリーの仕事も順調にいただけているので、今はとても満足しています。通訳になってから辛いと思ったことはありません。なるまでが大変だったので、毎日仕事が出来ることを幸せに感じています。こんなに充実した毎日が待っているということをもっと前に知っていたら、当時の辛さも半減していたのに...と思うくらいです。

Q7:通訳の仕事の醍醐味は何でしょうか?
 自分が通訳者でなければ行けないようなところに行けたり、会えないような人に出会えたり、またお客様だけでなく通訳仲間との出会いもこの仕事の醍醐味です。通訳者はみな好奇心に溢れ生き生きされていて、素敵な方ばかりです。ある通訳の友人から「100点を取るためには、120%頑張る。120点を目指して初めて100点が取れる」ということを学びました。それが仕事だろうが、勉強だろうが、プライベートだろうが、いつも120%の姿勢で臨む友人の姿勢を見て、私も大きな影響を受けました。仕事に関しては、今日の通訳が私で良かったと言っていただけた時に大きなやりがいを感じます。

Q8:フリーランスになって生活に変化はありましたか?
 フリーになっても1日のリズムは変わりません。しいて言えば、家族が寝静まった深夜に参考資料に目を通したり下調べをしたりする頻度は増えました。フリーになるにあたって楽しみにしていたことのひとつに自分の勉強時間が確保できる、ということがあったのですが、時間の許す限り、会員制ライブラリーで勉強や事前準備などを行っています。自宅より集中して勉強が出来るので、午後から仕事の場合も朝9時にライブラリーに来て、ここから仕事に出かけます。

Q9:今通訳学校の講師をされていますが、これから通訳者を目指す人に一言お願いします。
 プロの通訳者になりたいという思いがはっきりしているのであれば、迷いを持たず、自分を信じて頑張り抜いていただきたいです。うまく言えないのですが、私は先に光の見えないトンネルの中でひたすら這いずり回っていた気がするのです。でも気づいたらトンネルから抜け出していて、そしてそこに光はあったのです。なので、今通訳者を目指している方々には光を信じて頑張っていただきたいと思います。私はいわゆる帰国子女でもなく、特別な才能があった訳でもなく、それでも通訳者としてお仕事をいただけるようになりました。そんな私が今後どこまで成長できるかは引き続き実証していくとして、まずは私が5年、10年前に体験したことを今通訳者を目指している方々にお伝えしたいと思い、講師の仕事をお引き受けしています。遠回りをせずにまずはプロの通訳者としてのスタートラインに立っていただけるようサポートさせていただきたいと思っています。実は私自身も気持ちが折れそうになった時、ハイキャリアのこちらのコーナーの記事を読んでモチベーション維持していました。そんなこともあり、私で少しでもお役に立てるのであればと思い、インタビューをお引き受けしました。

Q10:最後にもしも通訳者じゃなかったら、何になっていましたか?
 やっぱり専業主婦ですね。子供も料理も本当に好きなんです。なので、通訳は仕事のひとつとして選んだと言うより、通訳だからこそ仕事をしているのだと思います。家庭にもっともっと時間を費やせる専業主婦になっていたら、それはそれで本当に幸せだっただろうなと思います。プライベートでは、元々海が好きで主人ともヨットを通じて出逢ったのですが、子供達がもう少し大きくなったら何らかの形で週末は海で過ごせるような生活がしたいと思っています。今は平日はほとんど仕事で埋まっており、土曜日も仕事が入っていたり準備に追われていたり、日曜日は学校で教えていますので、なかなか休みを取り慣れていません。それがこれからの課題ですね。

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編集後記

モティベーションが高く、努力を惜しまず、謙虚にそして真摯に仕事と向かい合っている人の話をお伺いするのは、仕事をする上だけでなく、人生を切り開いていくという視点でもたくさんの学びがありました。今の時代はいろんな選択肢があるがゆえに、「これ」と決めたことを簡単に諦めていく人が多いのも事実です。
一旦通訳者になると決心し「諦める選択肢はなかった」という遠山さんの姿勢が、今の成功に繋がっていると思いました。


Vol.61 「タイルの目地のような通訳者を目指して」

【プロフィール】
上野美保さん Miho Ueno
幼いころ祖父の影響で英語に興味を持ち、
大学卒業後日本の企業に就職するも、本格的に通訳を志すようになり
通訳学校に通いプロの通訳者を目指す。
外資系企業のバイリンガルセクレタリー、生命保険会社等の社内通訳を経て、
現在はフリーランス通訳者として様々な業種にてご活躍中。

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今日は通訳者の上野美保さんにおこしいただきました。いつも弊社のお仕事では大変お世話になっております。本日はよろしくお願いします。

Q1、いつ頃から英語にご興味を持たれたのでしょうか?
実は祖父の影響なんです。私の祖父は小学校の校長先生でした。好奇心が旺盛な人で、祖父から英単語をたくさん聞いて育ちました。山形県鶴岡市という、外国人なんて全然いないような片田舎だったのですが、3歳ぐらいから「世の中には日本語という言葉以外に、英語という言葉があるんだ」と認識していました。ちょうどその頃家族で東京の上野動物園に遊びに行った時、生まれて初めて外国人を見ました。そこで祖父から聞いた英語で「ハロー」と話しかけてみたんです。まだ自分の名前をやっと言えるぐらいの年でした。

Q2、小さい頃から社交的な性格だったんですね(笑)
はい、とにかく人が好きで、すぐに近づいて話しかけていました。小さい女の子がハローと話しかけたのにとても外国人の方が喜んでくれたのを覚えています。それが初めての英語との接点です。それ以来英語が好きで、中学・高校の時も英語のテストはトップクラスで「このトップのポジションは絶対に譲らない」という思いで勉強していました。今振り返ると受験英語の読み書きの勉強が中心で、ヒアリングは一切やっていませんでした。将来は英語を活かせる仕事をしようと、大学も英文科を選びました。ただそこで大きな挫折を経験することになります。

Q3、どんな挫折ですか?
自分ではかなり英語が出来るという自信があったのですが、大学に入って自分が何もできないということに気づかされました。帰国子女の方も多い学科だったのですが、視聴覚演習や英会話、スピーキングというクラスに最初は全くついていけませんでした。授業では自分の順番が回ってくるのが怖かったのを覚えています。あの時はちょっと頑張れば追いつけるという気持ちにもなれず、英語を勉強するというモティベーションもすっかり下がってしまいまし。自信喪失し「自分の英語力では留学も出来ない」と思っていました。

Q4、それで一旦は英語とは全く関係ない会社に就職されたんですよね?
当時は働くことにビジョンさえ持てなかったので、何となく縁のある会社に一般事務として入社しました。来る日も来る日もお茶くみやコピー取りだけの毎日が続きました。「僕はお茶がいい」「僕はコーヒーがいい」など、レストランみたいな要求はありますが、仕事に関する要求はありませんでした。社会人になって1年ぐらい経過した頃、何のビジョンもなく仕事を続けるのはよくないと思うようになりました。共働の両親に育てられたこともあって、私も40代、50代になってもずっと仕事を続けたいと思っていました。就職活動の時には一生仕事しようという気持ちと方向性が上手く結び付かなかったのですが、今からでも何か目標を見つけようと決心しました。

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Q5、その気持ちが24歳の時、通訳者を目指そうと決心されたのですね?
ある日会社で外国人の専門家を呼んで専門的な会議を行うことになったのですが、その時に初めてプロの通訳者とお会いしました。沢山の書類を抱えて、背筋をピンと伸ばしてとスーツを着こなしていらっしゃいました。その瞬間、雷に打たれたみたいに「私も通訳者になりたい」と思いました。自分の目指すものはこれだと思いました。

Q6、それから行動が早かったですよね。
はい、(笑)まず通訳学校に通いました。英語は大学時代に挫折した時点でストップしていましたので、シャドウイングなどの訓練は当時の自分にはレベルが高すぎました。最初はまず朝起きてから寝るまで英語に触れるように工夫しました。起きたらすぐにCNNなど英語のニュースをつけて、英字新聞を音読して、歩く時は必ずヘッドフォンで英語を聞いていました。仕事前1時間ぐらい近くのカフェで勉強してから出勤していました。とにかく何でもいいから英語に触れるようにしていました。結局「通訳者になろう」と思い立ってから3ヶ月後には仕事も辞めてしまいました。その頃は一日中英語漬けで、英語以外のことは考えられませんでした。

Q7、でも生活をしていくには収入も必要ですよね?
私は一人暮らしだったので生活費、そして通訳学校の授業料も必要です。「全くの未経験から通訳者になるには、どうすればいいのだろう?」と真剣に考えました。そして行き着いた答えが、バイリンガルセクレタリーから経験を積んで通訳のチャンスを待とうと思った訳です。今考えると安易かも知れませんが、私にはこの方法以外に思いつきませんでした。

Q8、私も未経験の方には、勉強をしながら、バイリンガルセクレタリーの仕事をしてはどうかとアドバイスします。
ただ派遣会社の登録会で、「あなたのこの経験ではバイリンガルセクレタリーは無理ですよ」と言われました。当然ですが、バイリンガルセクレタリーになるにもベースが必要なのですが、私には秘書としての経験がなかったのです。ただそのまま帰るのも悔しいので「バイリンガルセクレタリーになるにはどうしたらいいでしょうか?」と食い下がって、まず外資系企業で仕事をするのを勧められました。外資系企業で外国人とコミュニケーションを取って仕事をしたという経験があれば、次のステップに行けるのではないかと思い、外資系企業で仕事をすることに決めました。その仕事はヘルプデスクで非常にハードな仕事だったのですが、そこで1年実績を積んで、晴れて外国人付セクレタリーになりました。人が好きだという思いが根本にあるので、その人が求めているものを察知して、その期待に応えることがやりがいでした。

Q9、セクレタリーから通訳者を目指すのも大きなジャンプが必要ですよね?このままでいいかなと思ったことはありましたか?
いい質問ですね。(笑)実は人にも環境にも恵まれ、最初の頃に比べると時給も上がっていたので、正直このままでいいかなと思った時期もありました。ただやっぱり夢は捨てられませんでした。そこで通訳学校の学院長の紹介で、保険業界の通訳・翻訳業務、そしてリサーチ業務に転職しました。通訳の機会も決して多くありませんでしたが、時々依頼のある通訳案件は、大使館や政府機関への表敬訪問や日本の保険業界を代表するような方の雑誌インタビューなど、内容は当時の私にとっては思った以上に難しい内容でした。夢だった通訳の仕事だったけれど、「今は無理」とさえ、思いました。ただ、逃げる訳にはいかないので、あらゆる手を尽くして事前準備をしました。例えば、表敬訪問の場合は、日本経済の話題とか、マクロ経済の話や、その中で保険業界の状況はどうなのか?などあらゆる情報を仕入れて、想定問答集まで自分で作り、これを英語で暗記するまで何度も繰り返し目を通しました。結果高いパフォーマンスが出せて、自信に繋がりました。

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Q10、そして2008年にフリーランスに転身されますが、不安はありましたか?
最初はなかなか勇気が出ませんでしたが、社内通訳・翻訳の仕事の中で翻訳の割合が増えてきたのを機に思い切ってフリーランスになりました。実は主人にも「フリーランスになりたい」という気持ちはずっと伝えていたのですが、いつになったらフリーになるんだろうと思われていたみたいです。(笑)主人は仕事を理解してくれて自称「応援団長」と言っています。

Q11、フリーランスの仕事では時間管理やスケジュール管理が重要になってくると思いますが、どのようにされていますか?
私はエクセルで一元管理しています。これも主人の影響なのですが、家計簿や将来プランから休日の予定まで、すべてエクセルで管理しています。過去の仕事の概要もエクセルに入力して、ログを記録しています。過去の仕事の課題点や経過を記録することによって、「見える化」を実現し、今の仕事にとても役立っています。スケジュールはエクセルですべて管理していますので、手帳はもっていますが、定期券入れに入るほど小さいサイズです。

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Q12、常に時間管理は意識されているんですね?
はい、時間管理と体調管理はきちんとしないと、結局自分に跳ね返ってきます。ぼーっとしていたらあっという間に夜中の12時になってしまいますよね。私は日ごろから隙間時間でできるものをオプションで持ち歩いています。例えば一日案件の仕事が急に半日で終わった場合は、残った時間にやりたいことをはめ込みます。そういう風に有効に時間を活用するためにも1時間ぐらいでできる仕事や勉強を、常に細分化して管理しています。隙間時間を事前準備や勉強に充てています。通訳は毎回新しい分野に挑戦したり、新しい方にお会いするので、とにかく時間の許す限り事前準備したいと思っています。

Q13、事前資料の大切さは私たちコーディネーターもよくわかっていて、お客様になるべくご協力いただけるようお願いしているのですが、それでもどうしても資料が出ない場合があります。その時はどのようにされていますか?
確かに資料が全く出ない場合もあります。事前情報が全くない状況で本番に臨むのはつらい部分もあります。ただ絶対現場でサプライズはつきものだと思うようにしています。難しい現場で、現時点で自分の持っている力でベストを尽くして、何とか乗り越えて家に帰った時には、達成感もあります。通訳のやりがいは、会議が一定の結果を出して、最後にクライアントの方から笑顔で「ありがとう」言っていただいた時です。毎日いろんな分野のいろんな専門家の話を聞けるのが、私にはとても楽しいことです。

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Q14、お仕事以外のプライベートな時間はどのように過ごしていらっしゃるのでしょうか?
実はクラシックバレエを20年近くやっています。ちょっとストレッチをさぼるとすぐに体が硬くなってしまいますし、同じ姿勢で何時間も資料を読んだり緊張して仕事をすると肩も背中も凝るので、凝りを解消するためにも、今は週に2~3回、バレエのレッスンを受けています。あとは大学の勉強です。実は今、通信講座である大学の法学部政治学科で勉強しています。勉強のために仕事をセーブすることはありませんので、単位取得のためのレポートなどはなかなか進みませんが、今は空いた時間の大半を大学の勉強に費やしています。通訳学校で勉強をしていた時に、政治経済の教材が多くとても楽しかったので、本格的に勉強したいと思い政治学科を選びました。いつか通訳の現場にも生かして行きたいですね。

Q15、通訳者としての将来のビジョンはありますか?
基本的には今やっている仕事を一つ一つ積み上げいくようになると思いますが、将来的には国際経済や国際政治の分野でシンポジウムの通訳などもやりたいと思っています。すごく抽象的かもしれませんが、通訳という仕事を架け橋と表現する人も多いかと思いますが、私はタイルやレンガの「目地」の役割に似ていると思います。架け橋というとどうしても橋が目立ってしまいますが、話者の間に入って自然に両方をつなげられるような存在になりたいと思っています。

Q16、これから通訳者を目指す人に何かメッセージはありますか?
よく言われることだと思いますが、とにかく諦めないことだと思います。これは今でも私が心がけていることです。私は24歳で通訳者を目指してフリーランスの通訳者になるまでに、3回ぐらいどうやって越えたらいいか分からないぐらいの大きな山がありました。その山を越えるために、あらゆることを試しました。

なかなか成果が出なくて、本当に自分がやっていることは正しいのか疑ったこともありました。通訳の先生に相談しても「それでいいのよ」という返事しかかえってきませんでした。それでもなかなか成果が出ないので、また他の先生に質問しました。その先生も「それでいい。後で成果は必ず出てくるから」と言われました。努力しても努力しても報われない気がして、3人目の先生に聞きました。しかしその先生も「間違いなく蓄積されているから大丈夫。自分を信じて続けなさい」と言われました。来る日も来る日も愚直に課題を繰り返し、そんなある日突然「超えた」と思える瞬間がありました。やはり続けることが大切だということを身を以て経験しました。山を越えたと思えるまであきらめずに、色んなことを模索してみることが重要です。後は時には自分の力を超えるようなチャレンジも必要だと思います。自分が限界だと思っていたことが、意外に限界じゃないんですよね。限界って自分で勝手に作ってしまうものだと思います。

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Q17、ちなみに大きな3つの山って具体的にどんな山だったのですか?
一つだけお伝えすると通訳学校でよく言われることなんですが「予測して訳す」ということが最初はよく分かりませんでした。占い師のようには予測できないと思っていました(笑)。耳から聞こえたことばかりに気を取られていて、予測まで頭が回っていなかったのだと思います。スキルがついてくると、次に来る情報を自分から情報を取りに行くように聞けばいいんだとわかるようになり、その瞬間は本当に嬉しかったですね。通訳者を目指している人は、とにかく諦めずに継続してほしいと思います。とてもシンプルな答えですが「継続」が通訳者になる鍵だと思います。

編集後記
一般事務の仕事から通訳者を目指された上野さんの話は、ハイキャリア読者にもとても参考になる内容だと思います。私も最近仕事の上では「絶対に諦めない」ということが本当に大切だと思っています。ついすぐに結果を求めたり、結果が出ないとモティベーションが下がったり、他のことを始めたりしてしまいがちですが、一つのことを「継続」することが何より大切ですよね。上野さんの話を聞いて、再確認しました。


Vol.60 「通訳は同じ目標を共有できる仕事」

【プロフィール】
須山笑美子さん Emiko Suyama
中学時代から英語の勉強に励み、
日本の大学を卒業後、アメリカの大学に留学し宗教学と美術史を専攻。
その後アメリカの画廊で3年間勤務し日本に帰国。
帰国後はテーマパーク建設プロジェクト、広告代理店、メーカーの社長付通訳を経て、
現在はフリーランスの通訳者としてご活躍中。

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Q1、まずは通訳者を目指したきっかけを教えてください。
私は日本生まれで日本育ちで、帰国子女ではありません。中学校で英語の授業が始まってから、英語が一番好きなで得意な科目でした。洋楽が好きだったのも、英語に興味を持ったのには、影響していると思います。小さい頃に一度だけインターナショナルスクールの夏季講習で、1か月間アメリカに行ったことがあります。それが初めての海外生活でした。
高校生になってからは、授業が終わった後に、受験勉強とは関係なく語学学校に2年間通いました。そのころはまだ英語が好きというだけで、通訳者になりたいとは思ってもいませんでした。
大学も日本の大学を選び、第一外国語は英語、第二外国語に中国語を選択しました。その頃もまだ将来なりたい職業は固まっていませんでした。ただ高校生の時に留学したいと思っていましたが、両親の許可が得られず断念しました。ただどうしても留学への思いが断ち切れず、大学卒業した時点で企業の内定を取り消して、両親を説き伏せ留学しました。当時は「留学しないとこの先自分の道はない」と強く自分に言い聞かせていました。

Q2、ご両親の反対を押し切っての留学はどうでしたか?
留学では得るものがたくさんありました。金銭的には大変な時期もあったのですが、最初は大学寮に入ってアメリカ人の女性と2人一人部屋で生活しました。日本にいる頃は沢山勉強もしたのですが、いくら日本でTOEFLの点数を取っても、現地ではネイティブのスピードについていけず、最初は何を言っているのか全くわかりませんでした。留学前に3ヶ月だけでも語学学校に行けばよかったと後悔しました。

Q3、何か当時のエピソードはありますか?
アメリカの歴史の授業を受けていたのですが、特別に許可をいただいて授業の内容を録音して後で聞き返して勉強していました。ある時の授業でナッツ(nuts)の話が出てきました。講義中に『10ナッツ』『20ナッツ』と何回も言っていたんです。何度聞き返しても意味がわからないので、教授に聞きに行きました。『それはナッツ(nuts)じゃなくて船の速さのノット(knot)だよ!』と言われたのが今でも忘れられません!そんなエピソードは山のようにあります。留学中の2年間は受験勉強以上に勉強しましたね。

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Q4、大学を卒業された後もアメリカに残られたのでしょうか?
卒業後は日本に戻って就職するつもりでしたが、ちょうどその頃日本は就職氷河期で厳しい時期でした。アメリカの大学は夏に卒業になりますので、翌年の春まで待ってエントリーをして、その後また1年待たないと就職できない計算になります。1年半のブランクを作るより、アメリカで仕事を探してみようと思いました。当時大学では宗教学と美術史を専攻しており、シアトルの美術館で1年間インターンをしていました。その美術館の学芸員の方に仕事を紹介していただき、シアトルにある日本美術の画廊に就職決まり、そこで3年間お世話になりました。今振り返ってみると、3年間の画廊での仕事を通して、英語がよりブラッシュアップされたと思います。ちゃんとしたコンテクストで話すというスキルが身に付きました。

Q5、ちょうどその頃通訳という仕事を意識されたのでしょうか?
そうですね、通訳という仕事があって『やってみたい』という気持ちが芽生えてきました。例えば日本の作家さんが画廊に来て展覧会を開く場合、画廊のオーナーがお客さんと作家さんの間に立って通訳をしていました。『日本人と外国人の間に立ってコミュニケーションのサポートをする』という醍醐味を感じました。後一回労働ビザを延長すればグリーンカード(外国人永住権)がもらえると言われたのですが、もともとずっとアメリカにずっといるつもりはありませんでした。逆に日本人としてのアイデンティティはアメリカに行ってから、より強く意識するようになったと思います。いつかの時点で日本に帰って、日本人として社会に貢献したいという思いが強くありました。

Q6、須山さんはそれからずっと仕事を休むことなく続けていらっしゃいますよね?
仕事は楽しいものだという気持ちが根本にあります。日本に帰ってからは、美術品とか趣味の商品を通信販売する会社に入社しました。今は減ってしまいましたが、昭和のころはすごく栄えていたビジネスでした。(笑)本社がアメリカだったので、商品開発のプロセス会議などでアメリカとやり取りでよく英語を使っていました。その後テーマパーク建設のプロジェクトにフルタイムの通訳者として採用されました。当時通訳のトレーニングは受けたことがなかったのですが、周りの上手な通訳者のパフォーマンスを見て、自分もきちんと専門的なトレーニングを受けようと決心しました。その頃たくさんの先輩との出会いが、すごく刺激になりました。なにも形がないところから、ひとつのものを作り上げていくというのは、本当に素晴らしい経験でした。

Q7、弊社に登録されたのも、ちょうどその頃でしたよね?
そうです、懐かしいですね。その後通信会社で通訳者として勤務しました。和気あいあいとした雰囲気の中で仕事が出来たのですが、ただすごく忙しくて、よく工藤さんに「もうこんなのやっていられませんっ」って電話しましたよね。(笑)

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Q8、はい、よく覚えています。私も「もう少し様子を見ましょう」ってよくはぐらかしていました(笑)その後が広告代理店ですよね。

はい、私が広告代理店に入った頃は、海外の代理店とジョイントベンチャーを作ろうというところに向かって進んでいました。100%日本会社から、海外との出資比率の交渉から始まって、どういう形で会社を作るかっていう話になっていたので、仕事の流れとしては面白かったですね。派遣契約ではなく、直雇用だったこともあり、プロジェクトに深く関わることができました。新会社を設立し、単体で親会社から独立するという流れが、毎年毎年状況が違うので通訳者としてのやりがいも感じました。海外出張も年に2,3回は行っていたと思います。当時よく工藤さんにそろそろフリーランスにならないかとお声をかけていただいたのですが、プロジェクトが面白かったので、もう少し続けてみようと思っていました。ただ社内通訳者として仕事をするということは、通訳以外の仕事もある程度することになります。例えば翻訳の仕事もありますし、でもその中で『やっぱり通訳が自分には一番楽しい』というのが明確になってきました。そして翻訳の仕事を減らして通訳の仕事を100%にするには、どれぐらいのパフォーマンスが必要だろうかと考えるようになりました。この頃から通訳学校にも真剣に通うようになり、『このタームで自分はどのくらいのスキルまで上げられるか?』と意識するようになりました。そして自分が通訳としてもっと特化できる場所があるかもしれない?と考えるようになり、その後あるメーカーの社長付き通訳を2年経験して、フリーランスになる決心をしました。

Q9、フリーランスとして仕事をされる上で不安なことはありますか?

不安だらけです。でも「もっと、もっと通訳に特化していきたい」という気持ちが高まってきたので、すごくいい形でフリーランスに移れたと思います。今までお世話になった会社から不定期ですがプロジェクトベースでお声をかけていただけるというのも、心強いです。必ずしも『フリーになりたかったから』というわけではないんです。私にとって通訳という仕事は、何回も場を繰り返してチームの人たちと気心が知れるようになって、『同じ目標を共有できる』ところに一番やりがいを感じます。ビジネスの中身に興味を持つこともありますが、やっぱり一番は『人』ですよね。『この人たちすごく頑張っているな!』とか『こういうことをしようとしているんだな』という中で、通訳者としてスピーディーかつ的確なコミュニケーションを心がけて貢献し、『目的を共有する』というところがこの仕事の醍醐味です。通学学校の先生から『通訳の神髄はスピリットを共有することだ』という言葉をいただきました。その時私はそれが楽しくて通訳の仕事をしているんだと改めて気付かされました。気持ちを共有して、同じところに向かって進んでいく時に、私は気分が掻き立てられるんです。通訳する前は可能な限り、どういうニュアンスで伝えればいいのかとか、お客様とはどんな関係で、どこまで持って行きたいのかなど、単なるビジネス上の数字だけではなくて、エモーショナルな部分まで共有した上で、なるべく気持ちを伝えようと思いますね。フリーランスの通訳者として働くということは、高いスキルを持っているという点で自分との距離感を感じていたのですが、それ以上に日々のフリーのお仕事を受ける中でどうモチベーションを高めていくのかというイメージがなかなか掴めませんでした。周りの人がどんどんフリーになっていった時には焦りもありましたが、同じ波に乗ってもおそらくそれは違うだろうなという感覚がずっとありました。

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趣味で習っている「長唄三味線」

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三味線の「三つ道具」

Q10、まさに今がその時期(フリーランスになる)なんですね。
そうですね。ビジネスを通じていろいろな方々とチームの一員としてプロジェクトを遂行してきました。ビジネスシーンでは、みんな命を懸けていて一つの目標に向かって日夜仕事に打ち込んでいる姿を目にします。外部から通訳が来て、大切な場ですべてのコミュニケーションを通訳者に託さなければならない。どういう風にお互いの心に響く通訳が出来るか、共感し信頼関係が生まれてくるような、お互いが心を結べるような、通訳が出来るか、それは私自身の通訳力にかかっています。毎回難しいと同時にやりがいを感じる点です。

Q11、通訳をしていて辛いと思うときはありますか?
厳しい話は厳しい話で、私自身にその矛先が向かうことはないので、精神的につらいと感じることはないのですが、厳しく訳さないとちゃんと伝わらないのでそういう時は辛いですね。その中でお互いが理解しあえればそれは前進だと思っています。ただ通訳者を辞めようと思ったことは、一度もありません。

Q12、今後はフリーランスとして活躍されると思いますが、将来的にはどのような通訳者を目指していますか?
学生の頃に、ネスカフェのCMで国際会議の同時通訳ブースに入った素敵な女性がバリバリ通訳をやっていて、『ちょっとコーヒーブレイク』みたいなシーンを観て『素敵~』と思ったんですけど(笑)、今はあまりそういうのは目指していないんです。もちろんその中でも『目標を共有する』といったことはできると思いますが、私は同じ机に座って、同じ方向を向いて仕事をするのが楽しいと思っています。私は日本のビジネスレベルを上げていく中で『通訳者として』貢献したいと思っています。投資家やエクイティの方がいろいろな日本企業とお話をしていく時に、私は日本のビジネスを応援しようと(笑)日本がどんどんいい立場でいい競争性を持ってビジネスを展開できるように通訳という一つの『パーツ』としてなっていければいいなと思います。」

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Q13、なかなかフリーランスになれる勇気がないという通訳者の方も多いのですが、その方々に向けて何かアドバイスはありますか?
私は焦らないほうがいいと思います。企業内通訳ができるのであれば与えられた機会の中で自分を高められる方法はたくさんあります。自分ではいつも同じ会議に入って同じことをしていると思っていても、もっといい表現がないかとか、もっといい通訳ができないかとか、考えられることは沢山あります。自分を伸ばすチャンスはどこにでもあるので、そのチャンスが今見えないからっと言って焦ることはありません。もちろんただ待っているだけではなく、先輩や通訳のエージェントに会って話を聞くのもいいと思いますし、新聞を読んで『自分はどんな業界に行きたいか』考えるのも一つの手ですし、『今チャンスがない』というのであれば、『どういうところにチャンスがあるのか』、『自分はどういう方向を目指しているのか』自分がどういうところにエッジをつけていくか、今の環境の中でいろいろ探したり磨いたりして、自分の方向を見つけるのが近道だと思います。私自身も素晴らしい先輩方がいる中ではまだまだですが、『楽しい』と思っている限りは間違いなく適正はあるので、今自分が駆け出しでなかなか満足がいかなくても、楽しいと感じられる限りは積みあがっていけるし、必ず道が開けてくると思います。だから諦めないで頑張ってください! このお話をいただいたときに『まだフリーの経験もないし、お話しできることも...』と思っていましたが、皆さんにメッセージを伝えられるならと思ってお引き受けしました。みんな人それぞれタイミングがあるし、通訳にかける思いも人それぞれでいいと思います。

Q14、最後に話しは変わりますが、以前須山さんがおしゃっていた『企業には英語ができる人もビジネスができる人もいるけれど、両方できる人が少ない』という話しが印象に残っています。
私が付いていたエグゼクティブの方の言葉です。『ビジネスセンスがあって英語が問題ないという方もいるけど、やっぱりまだまだ圧倒的に少ない。どんどん日本人には外国に出てビジネスでリーダーといえるポジションを担ってほしいけど、力があっても英語が不十分だったりと、とにかくビジネスと英語のバランスが取れた人材が足りない』とおしゃっていました。これからの日本の課題ですよね。

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通訳の七つ道具

編集後記
須山さんは社内通訳者として沢山の経験を積んで、本当に自分が納得できるいいタイミングで、フリーランスの道を選ばれたと思います。これからのますますのご活躍を心より期待しています!




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