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放送通訳者直伝!

第323回 学びに正解はない

中学2年の秋に日本へ帰国した私にとって、歴史の授業というのはなかなか難しいものでした。「徳川家康」がテーマだったのですが、私にしてみれば「トクガワ?Who?」という感じでしたね。日本の古代史から続けて学んでいなかったわけですので、突如現れた江戸時代にチンプンカンプンでした。

一方、イギリスの歴史授業では主にイギリス史を習いました。バイキングやサクソン人などを始め、「ばら戦争」「ヘンリー8世」などが出てきましたね。ただ、日本人の小学生である私には全体像がつかめず、こちらはこちらで苦労しました。

ちなみにイギリスの小中学校における学年末テストはオール筆記です。試験時間も長く、暗記では太刀打ちできませんでした。問題文も、たとえば「ヘンリー8世の6人の妻のうち一人を選び、イギリス史に与えた影響を考察せよ」といった論述問題です。しかも回答用の筆記用具は「万年筆」。これは教師が生徒の思考過程も見るためなのですね。私たち生徒はスペアインクのカートリッジやインク壺(懐かしい!)を机の上に用意して、せっせと記述したものでした。

私が編入したころの現地校では、日本人が私一人だけでした。よって子ども心ながら「自分の失敗イコール日本の恥」というプレッシャーがありました。試験で低得点をとることはあってはならないものだったのです。当時の日本は高度経済成長こそ経たものの、世界的なプレゼンスはまださほど高くない状況でした。「日本人=粗悪品を大量生産して売り込んでくる」「日本人=眼鏡姿にカメラをぶら下げて大声で観光している」という見方がそのころのイギリスにはあったのです。

そうしたステレオタイプを払拭するために、10歳の自分にできることは、せめて恥ずかしくない姿をクラスメートや先生に見せることでした。今にして思えば、もっと子どもらしく自由にのびのびと過ごしても良かったのでしょう。けれども、それを許してしまうことは自分への敗北であり、日本に対して申し訳ないという思いがありました。

とは言え、英語もおぼつかない状態で編入した私にとって、学年末試験にどう対処するかは大きな課題でした。事前に試験範囲や日程を告知されてはいますので、あとは試験勉強をするだけです。けれども英文すらろくに綴ることもできず、そもそも一般常識のストックも大してありません。母語で同一内容をある程度仕入れて頭の中に入れていれば、拙い英語で書くことはできるでしょう。けれども私にはそれ自体が欠如していたのです。

今でも忘れない、歴史試験の前日のこと。何もせぬままテストを翌日に控えた私が付け焼刃的にとった行動は、「児童向けイギリス史の本を通読すること」でした。学校配布の歴史教科書は字が細かくて英語も難しく、理解できていなかったのです。幸い家には父が買ってくれた幼児向け歴史本がありました。教科書よりもイラストが多く、活字も大きくて平易な文章です。それでも厚さは300ページぐらいありました。これを試験前日の私は読み始めたのでした。

もう後には引けない状態でしたので、自分の中でも必死さとあきらめが混在していたと思います。それでも私はその児童書の音読を、放課後から寝るまでただただおこないました。10歳児にしては、かなりの集中力だったと思います。

翌日のテストで自分がどのような点数をとれたかは記憶していないのですが、それでも試験中にさじを投げず、何とか苦し紛れに答案用紙に書き込んだことだけは覚えています。おそらく前日に「音読した内容」につじつまを合わせながら書き出していったのでしょう。

あの筆記試験のおかげで、「学びにおいて必要なこと」を私は得たように思います。具体的には「プレッシャーを自分に課すこと」です。今でこそ私は「楽しく勉強しましょう」と授業では述べていますが、それと同時に、プレッシャーは決して悪ではないとも考えます。自分へのプレッシャーは莫大な原動力にもなるからです。

そしてもう一つは「集中力」。自分が選んだ学習方法を信じて、あとは集中するしかないのですね。子ども時代、他の予習方法を思いつかなかった私にとって、児童書の音読は唯一の選択肢でした。それがかえって良かったのだと今は思います。

学びには色々な形があり、正解はありません。その時その時に応じて、ベストを尽くすことが大事なのでしょうね。

(2017年9月18日)

【今週の一冊】
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「3万冊の本を救ったアリーヤさんの大作戦―図書館員の本当のお話」 マーク・アラン・スタマティー作、徳永里砂訳、国書刊行会、2012年

8月ごろから「第二次世界大戦」をキーワードに色々と調べています。前回のこのコラムでも東京大空襲の本をご紹介しましたよね。その流れで先日、興味深いDVDを観ました。「疎開した40万冊の図書」というドキュメンタリーです。

このDVDは、第二次世界大戦中に日比谷図書館の本を戦禍から守るために疎開させたという話題です。すべての所蔵本を移すまでには至らなかったものの、日比谷高校の学徒動員の助けも仰ぎながら、あきる野市や埼玉県志木市に本を疎開させたのでした。

「本」というのは、こと戦争が起きれば守るべきプライオリティの最後の方に置かれかねません。命を守ることと食べることで人は精いっぱいになってしまうからです。けれども、本はその国の文明や文化を作り上げてきたものであり、美術品同様、人々の手で守らねばならないのだと私はこのDVDを観て強く思いました。

そのDVDの中で紹介されていたのが、イラクのバスラ中央図書館で司書を務める「アリーヤさん」という女性です。イラク戦争が起きていた2003年に、所蔵本を守ろうと奮闘した方です。アリーヤさんがいたからこそ、3万冊の本は守られたのでした。

本書は小さな子どもでも読めるよう絵本仕立てになっています。描いたのはニューヨーク在住の画家、スタマティーさんです。アリーヤさんの思いが生き生きと伝わってきます。私はCNNなどのニュースでバスラの戦況を訳したことがあります。しかし、映像の向こうには、アリーヤさんのように、非常に苦労をしながら自分たちの大切なものを守ろうとする市民がいるのですよね。そのことを忘れてはならないと思います。

世界に目を転じれば、イラクやシリア、アフガニスタンなど、まだ戦争が続いている国はたくさんあります。戦争の不気味な足音が感じられる出来事も起きています。私たち一人一人に何ができるのか、どう行動すべきか。この一冊から大きな課題を与えられたと私は感じています。


第322回 五感を研ぎ澄ませる

今の時代、「スマートフォンもiPadも持っていません」と言うと本当に驚かれます。数年前は「ふーん」という反応でしたが、最近は「ええっ!?」というどよめきに近いレスポンスも見られるようになりました。私は冗談半分で「旧石器時代の人間」と自称しています。けれども上には上がいるものなのですよね。私の知り合いで、そもそも携帯電話自体がキライなのでガラケーすら持っていない、という方もいました。ただ、ご家族の意向で「とりあえず万が一のためにも持つだけは持ってほしい」と懇願され(?)、仕方なくカバンに入れるようにはなったそうです。もっとも、自分から使うことはないのだとか。ちなみに「旧石器時代」は英語でthe Paleolithic eraと言います。paleo-やpale-はギリシャ語の接頭辞で、「古、旧、原始」という意味です。-lithicはギリシャ語から来ており、こちらは「石」のこと。「石版画、リトグラフ」のlithographという語がありますよね。

さて、スマートフォンも携帯音楽プレーヤーも持たない私にとって、一番の楽しみは「自然の美」に触れることです。放送通訳の業務で始発の電車に乗った際には、日の出の太陽を電車の中から拝みます。最初は小さかった太陽がぐんぐん上り、オレンジ色の大きな面積を見せてくれると、自然の偉大さを感じます。ちょっと目を離そうものなら、あっという間に上り、面積も小さくなり、色もいつもの金色に変わってしまいます。私にとってはあの赤みを帯びたオレンジ色というのは見逃せない瞬間です。

仕事帰りの夕方も同様です。暮れゆく西の空というのは本当に美しく、夏の終わり・秋の始めに見られる、あの白い雲と空の色がバランスよく目の前に繰り広げられます。西の方には山が連なり、黒い影を帯びた山とのコントラストも美しいものです。このような光景を見ていると、日中の疲れも吹き飛び、あっという間に最寄り駅に到着します。

先日のこと。スーパーで買い物をしたあと、商品を台のところで詰めていました。するとどこからか良い香りがします。振り向くと、そこには生花コーナーがありました。なるほど、お花の香りだったのですね。よく見ると、秋の花がブーケになって並んでいました。紫のリンドウを始め、マムなども見られます。普段私はスーパーで買い物をするとササッとお店を後にするのですが、その日は数々のブーケにしばし見とれたのでした。

ちなみに「マム」は英語で書くとmumです。実はキク科の花で、文字通り、chrysanthemumの「マム」から来ているのですね。フラワーショップのHPを見ると写真や花の名前の由来、花言葉などが出ています。見ているだけでうっとりします。

話を元に戻しましょう。

このような具合に私は視界に入るものや香り、鳥の鳴き声などの音、触感や味わいなどを大切にしたいと思いながら日々を過ごしています。私たちの世界は最近、AIなどに代表される技術の進歩が顕著になっています。けれどもその一方で、自然が私たちにもたらしてくれる美というものは何物にも代えがたいのですよね。デジタルの世界の中に人工的なヨロコビを探し求めなくても、身近なところに私たちを悦ばせてくれるものはたくさんあるのです。

私の場合、通訳や英語指導の仕事を通じて「ことば」そのものへの「美」も感じるようになりました。ことば自体が香りや気持ちの良い手触りをもたらしてくれるわけではありません。けれども、耳から聞いた単語の音の美しさや、アルファベットの集合体である単語のデザイン的な美しさなど、惹かれる部分はたくさんあるのです。

語源を私がせっせと調べるのも同様の理由からです。「元はギリシャ語で、年月をかけてこのような英語の形になった」という事実を知るだけでも、歴史の中を生き延びた単語の生命力を感じます。

こうして毎日、五感を研ぎ澄ませながら暮らしていると、単純なものも宝物のように光り輝いて私には見えてくるのです。

(2017年9月11日)

【今週の一冊】
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「写真が語る日本空襲」 工藤洋三・奥住喜重著、現代史料出版、2008年

大きな出来事が発生すると、その時自分がどこでどのような状況下にあったかを、後に強烈に思い出すことがあります。私にとってのそうした出来事は、JALの御巣鷹山墜落事故、オウム真理教サリン事件、そしてダイアナ妃のパリ事故死です。

そしてもう一つ、私にとって忘れられない「世界を揺るがした出来事」があります。今から16年前の9月11日に起きた「アメリカ同時多発テロ事件」です。あの日を境に世界は大きく変わったと言っても良いでしょう。9・11が一つのきっかけとなり、アメリカはその報復としてアフガニスタンやイラクへの武力行使に踏み切りました。そして長い戦いが今に至るまで続いています。

今回ご紹介するのは、第二次世界大戦に関する本です。掲載されている写真のほとんどは、アメリカの公文書館に保管されている貴重なものであり、戦勝国アメリカがどのようにして第二次世界大戦における勝利をおさめたかが、この一冊からはわかります。写真に描かれている兵士たちの表情を見る限り、いかにアメリカが勝利を確信していたかがにじみ出ているように私には思えました。

本書には、日本がどのように空爆されたか、全国の主要都市における爆撃がどうおこなわれたかがわかる構成になっています。上空からとらえた街の様子は、戦後復興後の今と基本的には変わりません。川があり、台地があるという光景は、戦後数十年経っても昔の地形そのままが残されています。だからこそ、第二次世界大戦当時、あの空の下にいた人々は、どのように空襲を受け止めたのか、よけい如実に浮かび上がってくるような気がします。

2017年も残り少なくなりました。第二次世界大戦はますます遠のいています。一方、世界のどこかでは今現在、こうした空爆があり、戦時下にある国が存在します。そこには家族があり、家があり、小さな子どもたちも生活しています。「今」の世界に改めて目を向けるきっかけとなったのが、私にとっての本書でした。



第321回 本当に必要なもの

私は子どもの頃、あれこれとコレクションするタイプでした。切手、シール、グリコのおまけ、便箋、香り付のペンなどなどです。子どもというのはどうやら「集めること」が好きなのでしょうね。度重なる引っ越しで手放したものがほとんどなのですが、「グリコの何百というあのおまけ、まだ持っていたら博物館入りしたかも」などと一人空想してはつい笑みがこぼれてしまいます。

一方、今の自分はと言うと、出来る限りモノを持たない暮らしを心掛けています。結婚して家族が増える中、仕事を続けてきたこともあり、あまり家事に時間をさけなくなってしまったからです。もともと私は掃除や片づけが好きで、いったん着手すると徹底的に凝る方です。大学院時代も、論文執筆という厳しい現実から逃避するため、ひたすら片づけばかりしたほどでした。今ももし、モノが家の中にあふれかえっていた場合、本来やるべき仕事を二の次にしかねません。だからこそ、少ない品数で暮らしたいと思う次第です。

ところでずいぶん前、確か映画のポスターか何かで次のような文章を見たことがあります。

「富も名声も力もすべて手に入れた男」

要は、「その登場人物には実力があり、人生で必要なものは全部手中に収めた」ということをこのキャッチコピーは表現していたのですね。

人間というのは、自分の手の届かないものに憧れる習性があるようです。「今月は自由に使えるお小遣いが少ないなあ」という人にとっては、それこそ「可処分所得」が多いに越したことはありません。フリーで仕事をしている人にとっては自分の名前を知ってもらい、業務が増えることで評価も高まります。そうなるとある程度の「名声」も求められるでしょう。また、何か自分から社会に発信したいとなれば、人々に聞いてもらう必要があります。聞いてもらうためには自分に権威や権力がなければそのチャンスはやってきません。そう考えると、「富・名声・力」が人の評価基準になる、というのも理解できます。

けれども、と私は思うのです。

そうした基準「だけ」が人生であるとは、齢を重ねるごとに私は感じられなくなっています。もっと「無形のもの」にこそ、人を幸せにするちからがあるように思えるのです。

そうした「無形要素」というのは人それぞれでしょう。幼少期の楽しい思い出もあれば、先日食べたおいしい料理ということもありえます。そうしたことを心の中に再び思い描くたびに、幸せな気持ちになり、またこれからも前向きに歩んでいこうと思える。逆にどれほど地位やお金などを手にしたところで、心の中がスカスカしていれば、空しいままで人生を歩むことになります。

私が敬愛する精神科医・神谷美恵子先生(1914-1979)は、紆余曲折を経てハンセン病棟の医師を務めるようになりました。終戦直後にはその比類なき語学力を買われて安倍能成文部大臣の通訳者を務め、GHQとの交渉にも携わりました。また、二人の子どもたちが小さいころは自宅で英語塾を開いたり、大学で英語を教えたりという日々を続けています。けれども心の中では早く医療の現場に就きたいという焦りを抱いていました。その当時の日記に神谷先生は次のように記しています。

「お金と、地位と―こんなものかなぐりすてる事ができたら!」

私はこの文章に触れるたびに、人間として本来どうあるべきかを改めて考えさせられます。モノ的な生き方ではなく、自分に与えられた使命をしっかり見つめたいと思うのです。

【今週の一冊】
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「すらすら読める風姿花伝」 林望著、講談社、2003年

初めて「風姿花伝」に触れたのは、確か高校時代の古典授業だったと記憶しています。あるいは中学校だったでしょうか。いずれにせよ、古文の勉強の最中に接したというのが私の中での思い出です。当時の私にとっては、「古文=品詞分解」という図式しか頭にありませんでした。単語の意味も現代語とは異なります。「覚えなきゃ」という、テスト対策的なアプローチしかできなかったのです。どのような学問であれ、楽しく味わう方が身につきますし、人生も豊かになります。けれども当時の私はそこまで心の余裕がなかったのです。

再び「風姿花伝」の名前を耳にしたのは数年前でした。早稲田大学で開かれた講演会に出かけたのです。登壇されたのは、ジャパネットたかたの高田明社長。あのテンションで楽しいお話を伺う中、氏が何度も勧めていらしたのが「風姿花伝」でした。その中に出てくる「秘すれば花」という言葉がとてもお好きであるということをおっしゃっていました。

ここ数か月、私は自分の通訳パフォーマンスや授業時の声の出し方など、大幅な見直しをしています。かつておこなっていたやり方に、自分でダメ出しをするようになったのです。それまでは全く疑うことなく自分のやり方を実践していましたが、ふとしたきっかけで、「このままでは成長もないまま自分が止まってしまう」と思うようになったのです。

今回ご紹介するのは「風姿花伝」を易しく解説した、あの林望先生による一冊です。私は自身を振り返るにあたり、「風姿花伝」にその道しるべが記されているのではと考え、本書を手にしました。林先生の現代語訳も解説文も実にわかりやすく、古文に縁遠い生活を送ってきた方にも安心して読める構成となっています。

「風姿花伝」とは、能楽の世界において年齢別に取り組むべきことが綴られた指南書です。たとえ自分の年齢を過ぎている章でも、必ず応用できることがあるはずです。具体的には、基礎を大切にすること、お客様の視点に立つこと、出過ぎないことなどが通訳の世界に当てはまります。

大量の情報が出回る今の時代に、私たちは何を大切にすべきか。そのことを冷静に考えるきっかけとなる一冊です。


第320回 今日もていねいに言葉を発する

独身の頃はよくイギリスへ旅行に出かけました。幼少期に過ごした街を訪ね、懐かしのイギリス料理を味わうというのが定番でした。私にとってのイギリス郷愁の味は、トースト用の薄いパンとスコーンです。旅の最終日にはスーパーへ立ち寄り、パンやスコーンを入手してはホテルの部屋でせっせとラップフィルムで包み、日本へ持って帰ったほどでした。ちなみに食品用ラップフィルムは英語でcling filmと言いますが、イギリスのものはcling(ひっかっかる)ということはせず、単なる薄いビニールという感じでしたね。日本のグッズの質の高さを感じます。

パンやスコーンが味覚経由で私に記憶を呼び起こすのと同様、生活の中における香りも、昔のことを思い出させるきっかけになります。イギリスの空港に降り立って最初に「ああ、イギリスに帰ってきた!」と思うのは、空港内の香りを感じたとき。具体的には「イギリスの建物が有するにおい」です。おそらく壁などに使われているペンキのにおいだと思うのですが、これが幼少期に私が通っていた学校の中のにおいと同じなのです。ヒースロー空港に降り立ち、この香りがすると、子どもの頃の小学校生活が鮮やかによみがえります。それまで忘れていた記憶がどんどん出てきます。

そのように考えると、味や香り、音など五感を刺激するものは思い出を彷彿させるのでしょう。しばらく聞いていなかった往年のヒット曲を偶然耳にして、若かった当時の自分を思い出すなどということもあります。ずっと記憶の底に封印してしまい、あえて直視したくないような、心がチクリと痛むような思い出もよみがえります。けれども時というのは素晴らしいもので、そうした辛い記憶も、今となっては慈しみと懐かしみさえ覚えます。先日、放送通訳で出てきたニュースの中に「アルツハイマー病患者に音楽を聞かせて記憶を呼び起こさせる」という研究結果のレポートがありましたが、たとえアルツハイマーになってしまっても、音楽のメロディにより目に輝きが生じ、同じメロディを口ずさむことができたと報道されていました。

では「ことば」はどうでしょうか?言葉によって記憶の底に秘められていた事柄が出てくることはあるのでしょうか?私は「ある」と思っています。たとえば私は社会人になりたての頃、とある悩みに直面していた時期がありました。その時、仲の良かった友人から「しっかりね!」とエールを送られたのです。彼女は細かいことを長々と話すことはせず、ただ一言、このことばを私にプレゼントしてくれたのでした。以来、「しっかりね」という言葉をどこかで別の状況で聞くと、当時のことを思い出すのです。「大変だったけれど、彼女のあの一言で救われたなあ」と懐かしく、ありがたく思い出します。

そう考えると、私が携わる「通訳」という仕事は、ことばが大きな意味を持つ職業だと思います。通訳者の用いたことばそのものが多大な感動をもたらして会場内は涙涙・・・とまでは行かないかもしれません。けれども私たちが通訳した内容をお客様が理解し、話者の話から人生のきっかけを得る聴衆がいることは大いにあり得ます。

通訳者というのは黒子の存在です。通訳現場では目立たず控え目にあり続けます。けれども私たちが発することばは肉体的存在をも上回る役割を担います。そう考えると、今日もていねいに通訳のことばを発していきたいと思うのです。

(2017年8月28日)

【今週の一冊】
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「首里城への坂道」 与那原めぐみ著、中公文庫、2016年

毎年8月になると色々な側面から戦争について考えます。平和な日本にいると戦争というのは少し縁遠い気がしてしまいますが、放送通訳の現場では毎日と言ってよいほど、戦争のニュースが出てきます。今、この原稿を書いているさなかに、世界のどこかでは戦いが続いているのです。武装グループ同士の衝突もあるでしょう。その一方で、無差別に市民を攻撃する事件もあります。たまたま今の日本の、自分の身近なところでそうした出来事が起きていないという偶然にすぎません。広く世界に常に目を向けていたいと私は考えます。

今年は沖縄返還に関するドラマを観たこともあり、私の中では「沖縄」が一つのキーワードとなっています。私は何か課題を見つけると、それについて多方面から調べたくなる習性があります。今回ご紹介する一冊は芸術の側面からとらえた沖縄関連の本です。

本書に描かれているのは鎌倉芳太郎という実在の人物。大正末期から昭和初期にかけて琉球の芸術について徹底的に調査をしたのが鎌倉でした。調べたことをひたすらノートやメモに書きつけ、その資料は膨大な量にのぼります。

今でこそ沖縄は那覇市が中心ですが、琉球王国時代の中心都市は首里でした。かつては東南アジアと日本を結び、栄えていたのです。しかし後に王国は崩壊し、鎌倉が首里にやってきた大正末期は王国時代の建物が荒れ放題となっていました。鎌倉は今の東京芸術大学を卒業後、美術教師として赴任してきたばかりだったのです。

著者の与那原氏は鎌倉の軌跡をたどりながら、現代にいたるまでの沖縄を描いています。とりわけ私が興味を抱いたのは、沖縄とサントリーの関係でした。1938年のこと。サントリーの創業者・鳥井信治郎は沖縄で泡盛工場を視察します。その後サントリーは戦争中に日本海軍の指示を受け、ブタノールという航空燃料を沖縄で製造していました。

一方、戦後の沖縄は米軍統治下となり、沖縄の人々はアメリカのウィスキーに親しむようになりました。日本本土で人々が洋酒に親しむためにはどうすれば良いか、サントリーはマーケティングの観点から沖縄に注目したのです。そうしたきっかけが沖縄文化支援へとやがてつながり、サントリー美術館では沖縄の本土復帰前に沖縄の美術展を大々的に開催しました。サントリーは当時の沖縄ブームの立役者でもあったのです。

私はこれまで沖縄に一度だけ出かけたことがあります。大学卒業後間もないころ、当時暮らしていた神奈川県が主催した「ピーストレイン」という青少年交流事業に参加したのです。戦跡などを訪ね歩くというもので、当時訪問した場所や戦争を体験した方々のことは今でも覚えています。

沖縄が今直面している様々な課題というのは、こうして過去をひも解くことでより理解が深まると私は考えます。沖縄の音楽や食文化など、個人的に私が関心を抱く側面から沖縄についてさらに深く学びたいと思っています。


第319回 もう一つの手段がある

母語以外の言語を学ぶメリットには色々とあります。多様な視点を得られること、交友関係を広げられること、たくさんの知識を吸収できることなどはその一部です。たとえば英語の力があれば、原書を読むことができますので、日本語訳の出版を待たなくて済みます。著名な方の来日講演会に出かければ、通訳なしで内容を理解できます。語学力や知識力が高ければ高いほど、オリジナルのニュアンスでメッセージを吸収できるのです。これは多大な時間節約となり、微妙な内容もありのまま把握できることになりますので、非常に便利です。

こうした長所に加えてもう一つ、最近感じることがあります。それは母語以外の言語を使うことによる「発信」です。

今の時代、SNSを用いれば世界中に向けて自分が伝えたいことを表に出せるようになりました。Facebookやインスタグラムのメンバーになっていれば、日本語以外で書き込むことで、世界中の誰とでもつながることができます。そこから新たな交友関係が始まり、自分の世界が広がることが可能となるのです。私が学生の頃など、文通紹介雑誌を見てはこちらから手紙を書いて封筒に入れて切手を貼り、投函。返事がくればラッキーという感じでした。隔世の感があります。

今の時代、英語を使って自分のことを知ってもらえる機会が無限大にあるのです。

ところで「発信」に関してはさらにメリットがあります。 それは「自分の内省したことを表現しやすい」という点です。

たとえば、母語であれば言いにくいことも外国語を使えば自分の想像以上に自由に表わせることがあります。私は日ごろ日記をつけているのですが、母語で書くのも何だか気恥ずかしいような自分の思いも、あえて英語で書き始めると堂々と表現でき、躊躇しがちな自分を解放できるのです。

なぜなのでしょう?おそらく母語というのは自分の心身に染みついているので、如実に書けば書くほど、恥ずかしさが増してしまいます。しかし外国語の場合、自分で表現してはいるものの、外国語であるがゆえにどこか他人事のように思えるのかもしれません。それがかえって幸いして、堂々と自分の正直な思いを表わせるようになるのでしょう。

小学2年生からつけ始めた日記は、私にとって人生の伴走者でもあります。嬉しかったことや辛かったことなどをこれまで書き留めてきました。子どもの頃というのは
今よりも考え方が単純でしたので、それほど自分の考えを書くのに躊躇することはなかったのですが、大人になるにつけ、自分だけの日記帳であってもどこか書くことにブレーキをかけている自分がいました。だからこそ、あえて英語で書いてみた方が客観的に真正面から自分に向き合えたのだと思います。

自分にはもう一つの手段がある。

そう考えると、私は英語という言語にどれほど救われているかわかりません。

(2017年8月21日)

【今週の一冊】
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「『憧れ』の思想」 執行草舟著、PHP研究所、2017年

何かを学ぶ際に必要なことは3つあると私は考えます。指導者の教え方が上手なこと、使用教材が優れていること、学習者が学ぶ意欲に満ち溢れていることなどです。そのどれかが欠けてしまうと、向上への道のりは険しくなるのではないか。私は長年そう感じてきました。

けれどもここ数年、上記に加えてもう一つ、実は肝心なことがあると気づかされました。それは「憧れ」です。指導者への憧れ、学ぶ対象物そのものへの憧れです。たとえば通訳学習であれば、通訳スクールの先生がそれにあたりますし、通訳そのものが好きということが求められると思うのですね。こうした憧れがあって初めて、学ぶ側も自主的にやる気を抱けるのではないかと考えます。

だからこそ、指導に携わる者は自己研さんを怠ってはならないと思います。学習者以上に勉学に励み、人格を磨き、身なりを整えること。そうした総合的な努力をして教壇に立つ必要があると私は考えるようになりました。

今回ご紹介する一冊は、人生において「憧れ」こそ必要であるということを唱えたものです。私はこの本を偶然、立ち寄った書店で見つけました。生きる上で大切なのは憧れという思想であり、その憧れとは人生のはるか先にある「ともしび」であると著者は説きます。そのともしびに向けて私たちは限りある人生を歩んでいかなければならないのです。

その歩みというのは、もの悲しく遠いものです。著者はそうした到達不能なものにあこがれることを「焦がれうつ魂」と表現します。自己向上心も恋もすべて、その「焦がれうつ魂」が根底にあると説きます。

憧れというのは、一見、当事者が目をキラキラさせて憧憬するというイメージがあります。けれども、むしろもの悲しさを伴うものという内容に私は大いに納得しました。だからこそ、そのともしび目指して私たちはたゆまぬ努力をし続けるのでしょう。
 



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プロフィール

柴原早苗

柴原 早苗さん
放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 アルク「English Journal」でBBC Newsを監修した後、現在はNHK「ニュースで英会話」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当中。 現在は通訳学校でも後進の指導にあたる。ESAC英語学習アドバイザー資格制度マスター・アドバイザー。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)。「放送通訳者・柴原早苗のブログ」を更新中。