HOME > 中国語・多言語 > 中国語通訳者・翻訳者インタビュー

中国語通訳者・翻訳者インタビュー ここでは第一線でご活躍されている中国語の通訳者・翻訳者の生の声をご紹介します

Vol.9 「努力は人を裏切らない」

【プロフィール】
戴一寧さん Ichinei Tai
中国・上海出身。
中学校より日本語を学び始め、上海外国語大学・日本の大学院を経て
日本の大手電気設備会社にて社内通翻訳に携わる。
その後2004年よりフリーとなり、現在は通訳専門学校と大学の非常勤講師を務めるかたわら通訳と翻訳でも活躍中。


IMG_8396.JPG


Q1、本日は中国語通訳者としてよくお仕事をお願いしている、戴さんにインタビューさせていただきます。いつもお世話になっております。今日はよろしくお願いいたします。戴さんは上海の生まれだとお伺いしたのですが、日本語を勉強しようと思ったきっかけから教えてください。
私が小学校を卒業する年に、中国は改革開放政策が始まり、外国語がわかる人材の育成に力を入れ始めました。そんな背景の中、私は小学校の担任からの推薦を受け、上海外国語大学付属中学校を受験し、運よく日本語クラスの第一期生として入学しました。それから中学、高校、大学と10年間日本語の教育を受けました。最初は日本語どころか、日本の情報は一切知りませんでした。ただ日本は経済的に発展しているので、漠然とではありますが将来の仕事に役立つのではないかと考えていました。上海外国語大学を卒業し日本の大学院に留学しました。


Q2、日本に最初に来られた時にカルチャーショックはありましたか?
全くなかったです。大学で日本経済や文化について学んでいましたし、日本のドラマも見ていました。初めて来日した時にはすべて受け入れて、日本はなんて素晴らしい国だろうと思っていました。ただ何年か住むうちに、日本で結婚、出産、仕事を通して、私の理想と欠け離れている一面も見え始めました。きっとその時初めて日本の本当の姿が見えたのかも知れません。最初は憧れの気持ちが強かったのですが、今は日本のいいところも悪いところもすべて受け入れて生活しています。故郷の上海は街も変わって、女性も美しくなりました。ただ夫は日本で働いていますし、子供も日本で教育を受けています。生活の基盤が日本にできています。何といっても日本が好きです。ここで暮らし始めて22年になりますが、これからも日本で暮らしていくことになると思います。

Q3、大学院を卒業後は、日本の企業に就職されたのですよね?
はい、私の社会人生活は日本でスタートしました。11年間、日本の企業で働きました。当時は社内通訳や翻訳、現地法人の経理事務などを担当しました。社内通訳だとどうしても限られた分野の仕事になってしまうので、段々物足りなく感じるようになりました。もっと広い世界を見てみたい、自分の語学力を活かしたいという気持から、仕事を続けながら通訳学校に通い始めました。それまでは自己流で通訳をしていましたが、学校では本当に多くのことを学びました。通訳技術だけではなく、通訳者としての姿勢も学びました。ある先生は事前打ち合わせの際に、会議内容の事前確認だけでなく、スピーカ―の訛りや話すスピードなども確認されます。私たちより前世代の中国人スピーカーは、方言交じりの北京語を話す人も多いんです。会議を成功させるための、通訳者としてのプロの姿勢を感じました。

IMG_8384.JPG

Q4、仕事を通して、先ほどおっしゃっていた日本の本当の姿が見えてきたのでしょうか?
そうですね。女性が仕事と子育てが両立できる環境がまだ不十分ですね。会社における女性の地位も低いように思います。通訳学校に通い始めたのも、子育てをしながらも自分の空で羽ばたける生き方を探したいという思いからかもしれません。

Q5、それで思い切ってフリーランスに?
フリーランスになったのは2004年です。通訳学校を卒業した後、仕事も少なく不安な気持ちでいっぱいでしたが、思い切って会社を辞めました。通訳学校での勉強は大変でしたが、現場に出てからのほうがより大きなことを学べたような気がします。単語力をつけるため、単語帳を作りました。分野別に専門用語をパソコンで管理し、新聞やニュースなど日々の生活の中で耳にする知らない単語はすべて書きとめて、中国語訳を調べて単語帳に書き足していきました。そして仕事の資料は丸暗記するぐらい読み込んで、現場に臨みました。中国語の新語は、ニュースやネットで常時キャッチアップしています。とにかく一つ一つの仕事を誠実に、丁寧に対応していくように心がけています。ありがたいことに、今ではいろんな分野の仕事のご依頼をいただくようになりました。引き受けた仕事はベストを尽くして準備して臨みます。また現場ではどんなことがあっても、クライアント目線で臨機応変に対応するように心がけています。

Q6、好きな分野や印象に残った仕事を教えてください。
日本の税制や社会保障システム、地方分権など日本に対する理解を深める内容が好きです。印象に残った仕事は、江沢民氏のご子息の通訳をしたことです。個性のある方ですごい印象に残りました。今後は国際会議での同時通訳の機会がもっと増えるよう経験を積まなければなりません。また、医学分野の仕事もチャレンジしてみたいと思います。

Q7、日本語の発音で難しい音はありますか?
外国人が中国語を勉強する場合、中国語にしかない母音があるのでそこが難しいと思いますが、逆に中国人にとって難しい日本語の発音もあります。例えば「ふ」の発音です。中国語だと英語のFの「ふ」に近いので、歯と下唇が付くのですが、日本語の「ふ」の場合はふんわりとしたもので、中国人にとって難しいところでした。自分では気づかないこともありますが、日本語のイントネーションも難しいです。正しいイントネーションをマスターするのが私の課題です。中国語には4つのイントネーションがありますが、これさえマスターできれば、後は決まっているので覚えればいいだけです。しかし日本語の場合はイントネーションが難しい。辞書にイントネーションは載っていませんよね。「ぎちょう↑(議長)」なのか「ぎちょう↓(議長)」なのか分りません。NHKのイントネーション辞書を参考に勉強しています。ニュースのシャドーイングも怠らずに頑張っています。

IMG_8382.JPG

Q8、お子さんとは家庭の中では中国語でお話されるのでしょうか?

子供は生後7か月から保育園に預けていますので、日本語の環境で過ごしています。子どもにとっては母国語は日本語です。なんとかバイリンガルの環境を作ろうと努力しましたが、今は挫折しています。私が中国語で話しかけて、子供が日本語で答えるといった形です。中国語のヒアリングは出来ますが、難しい言葉はまだ理解できないようです。子どもには日本語を母国語としてきちんとマスターしてほしいと思います。そのうえに中国語を勉強してくれればと思います。

Q9、今は出張の仕事も受けていらっしゃるのでしょうか?

はい、日本国内や、時々中国や台湾に出張します。中国では共働きは普通なので夫も理解してサポートしてくれます。出張は通訳だけでなく、以前働いていた会社からも依頼されます。私は以前、現地法人の経理を担当していましたので、決算期の人手が足りない時に、現場所長にヒアリングをしたり、レポートにまとめて日本の本社に報告します。

Q10、大学でも教えていらっしゃいますよね?
はい、杏林大学で教えています。フリーランスになってから、杏林大学大学院で日本初の日中同時通訳コースが開講され、私は一期生としてもう一度同時通訳を勉強しました。現場でぶつかった壁や疑問など大学院の勉強を通じて見つめ直すことができ、大きく成長できたと思います。修了後は非常勤講師として中国語を教えています。留学生向けの日中翻訳の授業も担当させていただいております。

Q11、母国語の知識は通訳にとってとても大切ですよね。
はい、実は以前一度失敗したことがあります。私は日本語のレベルアップを図りたい一心で、母国語である中国語を疎かにした時期がありました。そんな中、通訳学校のワークショップで、ある日ブースで日中の同通実演をしましたら、ぼろぼろでした。後にベテランの先生に「母国語を磨く努力も決して怠ってはいけない。母国語がすべての基礎ですから。」と言われました。私はその一言で目が覚めました。それまでは日本語が中心の勉強だったのですが、今は中国語のブラッシュアップにも精を出しています。

Q12、日本語で喋る時と、中国語で喋る時で性格が変わったりしますか?
特別意識をしたことはありませんが、少し変わっていると思います。なぜなら中国語は直接的な表現が多く、自己主張が強い言葉だと思うからです。中国語を話すときは、スピードも速く、語尾は断定的で「です」「ます」になります。一方日本語で話す場合は、ゆっくり言葉を選んで、「思われます」とか「感じられます」という風にやわらかく話しているような気がします。

Q13、将来どんな通訳者を目指していますか?
もっと言葉を磨いて、洗練された言葉遣い、きれいなイントネーションで話す憧れの先輩通訳者のようになりたいと思います。通訳は私にとってやりがいのある仕事です。通訳を通してさまざまな分野の専門家の話を聞くことができ、視野が広がり知識も深まります。もしも自分が通訳者じゃなかったら、こんなにいろんな分野の勉強はできなかったと思います。通訳を通して得た知識が雪だるま式に広く深くなっていきます。知識の点と点が線につなぎ、やがて面となって広がり、次の仕事に活かされる、それが通訳という仕事の醍醐味ですね。

IMG_8405.JPG
通訳時に使用している道具

Q14、最後に通訳者を目指している後輩に向けて、先輩として是非アドバイスをお願いします。
自戒も込めて、これから通訳者を目指す方々に、2つのメッセージを送りたいと思います。まず「努力は人を裏切らない」という言葉です。現在教える立場でもありますが、受講生を見るとはっきりわかります。スタート地点ではレベルが高くない人でも、コツコツと努力を重ね継続的に勉強すれば必ず進歩します。一方、クラスの中でいくらセンスがよく、レベルが高い人でも努力しないとすぐに追い抜かれてしまいます。

あともう一つは「常に言葉に対し深い関心を持ち、アンテナを張ってほしい」です。この二つを実践していけば、いつか目標はかならず達成できます。

編集後記
日々努力されている戴さんの口から「努力は人を裏切らない」という言葉を聞くとすごく説得力がありました。私も日々感じていることです。同じスタートラインにいても、一年後には大きな差ができることがあります。それは一日一日の過ごし方の違いだと思います。何となく目の前のことを早く終わらないかなと思いながら仕事する人と、目的意識を持って仕事している人では、一年で大きな差がつきます。私もこの言葉を肝に銘じたいと思います。


Vol.8 包 紅征さん「言葉の魅力」

【プロフィール】
包 紅征さん Kousei Hou
 北京第二外国語大学にて日本語を専攻。在学中に国際交流基金が実施する試験で全国一位をとり、来日し、以後住みつく。文芸・ビジネス・法務の翻訳経験を経て、司法通訳者となる。その後、フリーランスの会議通訳者となり、今は幅広い分野にてご活躍中。

Q.なぜ日本語に興味を持たれたんですか?
 私がまだ幼いころ、中国では日本ドラマの全盛期で、山口百恵さん・高倉健さんが大人気だったんです。ちょうど日本はバブルの時代だったので、映画もドラマも面白い経済先進国--日本は憧れの的でした。ドラマは全て中国語に吹き替えて放送されていましたが、歌だけはそのまま使われていたので、日本語は綺麗な発音だな〜と感激しました。その理由もあって、大学では日本語を専攻に選びました。日本語は一つの漢字に幾通りもの発音があるので、その使い分けを覚えるのがとても難しかったです。

Q. 初めて来日された時の日本の印象は?
大学で日本語を専攻してから日本のことはある程度学んでいたので、あまり大きな驚きはありませんでした。ただ、文化の違いで小さな驚きや戸惑いはいくつかありましたね。たとえばバスや電車の乗り方(中国では日本のようにきれいに整列したりはしませんので・・)。また当時中国では犬はあくまで番犬で、人に噛みつく動物でしたので、日本に来て犬と人間が家族のように共存している姿には驚きました。最初はなかなか慣れず、どんなに小さくて可愛い犬でも噛みつかれる気がして怖かったです(笑)。
pro3-100907.jpg

Q. 通・翻訳のお仕事を始められたきっかけは?
 友人の紹介で出版物や脚本の翻訳を始めました。日本語を中国語に翻訳するまでは良かったのですが、その逆となるととても難しかったです。中国語の文章を日本語訳した時、もう少し工夫して翻訳できない?と言われました(笑)。自分なりに精いっぱい推敲を重ねて訳したつもりだったのに、これ以上どうすれば良いのかと途方に暮れましたね。実際、今になってその頃の訳文を読み返すと確かに工夫が足りなかったとよく分かります(笑)。
翻訳の仕事を2年間ほど続けて、その後友人の紹介で司法通訳の仕事を始めました。やはり通訳する相手と依頼される仕事の背景を考えたら、少し戸惑いや不安が先行してしまいましたが、実際に行ってみると思っていたほど怖い環境ではなく、通訳に集中する事ができました。司法通訳は会議通訳と違い、言葉の省略をしてはいけない。どんなに長い話でも要約して訳出してはいけない。一語一句を漏らす事なくニュアンスまで正確に訳すというのが通訳に求められる全てですので、相当鍛えられました。

Q. 今でも記憶に残る失敗談はありますか?
 あります!当時はネットも発達していなくて、仕事の幅を広げようと思って一時期、通・翻訳雑誌に掲載されている情報を元に、エージェントを探していました。エージェントの一つに登録の応募をして面接とテストを受け合格を頂いたまでは良かったのですが、その場で早速お仕事を頂いたんです。エージェントからは、表敬訪問に同行してお客様とお食事をするだけで特に勉強も準備もいらないと言われたので、その言葉を鵜呑みにしてろくな準備もせずに本番当日を迎えました。ところが、表敬訪問のつもりが急に専門用語が飛び交う商談が始まり、専門用語以外のところはどうにか訳せたのですが、肝心な部分がシドロモドロになりながら何とか事を終えました。その後、相手に自分は一所懸命頑張ったという誠意だけでも見せなければと思い、メモを取った単語を見せてこの言葉はどんな意味ですか?と尋ねたんです。それを聞いたエージェントの社長から物凄く怒られました。クライアントにそんな事聞くもんじゃない!って。第1号のフリーとしての仕事で第1号の大失敗でしたね(笑)。本当に赤っ恥をかきました。

Q. 通訳の魅力を教えてください。
 フリーの通訳は色々なお仕事を頂きますが、お引受けした時は実際にどれだけの資料が本番までに揃うのか直前にならないと分かりません。いざ、直前になって資料が全く出なかった時は、本当に逃げ出したくなるくらいの絶望感を味わいます(笑)。ただ、今度こそはもう駄目だと思っても、諦めずに必死にもがけば、不思議なことに何とかなるんです。そうして終わった後の達成感がすごく気持ちいいものですね。またいろんな分野の仕事がある分、勉強の幅も広いので、自分がその気になればいくらでも新しい事を吸収する事が出来ます。本当に楽しい仕事です。
pro1-100907.jpg

Q. いつもされているトレーニングはありますか?
 毎日必ずしているのは辞書を調べることです。辞書を調べて、調べた言葉の応用法をGoogleなどを使って検索して、さらに関連性のある言葉も一通り調べてといった感じで、嫌になってしまうほどとことん調べます。あと、読書することですね。調べすぎて、なかなか先へ進みませんけれど(笑)。言葉に敏感なほうだと自任していましたが、ところが、新聞を読んでいると自分が読んでいるのは日本語なのか中国語なのか分からなくなることが時々あります。自分の意識しない間に勝手に頭が視覚に入る日本語を中国語に置き換えたり、中国語を日本語に置き換えたりしてしまうんですね。ちょっといきすぎかな〜職業病かな〜と思います(笑)。

Q. 包さんの息抜き方法・ご趣味はなんですか?
 写真が好きで、特に遠出するわけでもなく普段からカメラを持ち歩いては好きな場面に写真を撮っています。あと短歌を書くのが好きです。日本語を覚えたての頃に、よく俵万智さんの本を読んですごく素敵だな〜と新鮮な感動を覚えて、今は見よう見まねで自分でも書くようになりました。短歌は文字数が少ない分、一つ一つの言葉にどれだけ思いを乗せることができるかが難しいのですが、言葉遊びをしているようでとても面白いです。言葉は、それ自体は動いているわけでも色があるわけでもない、写真や動画のように視覚に訴えるものではないけれど、その人の思いや躍動感を感じる事ができますね。ただ文字だけでどれだけでも人を感動させる事ができます。考えれば考えるほど奥が深く、また魅力的で本当に興味が尽きません。

*包さん撮影の写真:白糸の滝
そして一句「白糸の滝も流せぬほどの思い出を抱えてどこへ往こうか 」
pro4-100907.jpg

Q. 通訳を目指している方々へのアドバイスをお願います。
 私は通訳を育成する立場にもいますが、通訳を目指して勉強している人たちに一番伝えたいのは、外国語を必死に覚えるのも大切ですが、まずは国語(母語)力が何よりも大切だということです。「母語を制する者が外国語を制す!」母語がベースになって外国語を学習するわけですので、母語が出来なければ外国語を習得する事はできません。逆にいえば、いくら一生懸命に勉強しても外国語力は自分の母語力を決して超える事はできないのです。まずは自分の母語力を伸ばして外国語力を伸ばす余地、可能性を広げる事が大切です。
 また、言葉だけでなく幅広い知識を身に付けることが大切です。語学だけを学んでいると、どうしても視野が狭くなってしまいがちです。言葉以外の事もたくさん吸収しないとよい通訳にはなれないと思います。それを常に自分にも言い聞かせています。
pro2-100907.jpg

編集者後記:
 タイトル通り言葉の魅力を改めて教えて頂きました。今まで特に意識した事がなかったのですが、特に相手の顔が見えないメールなどでは使う言葉一つで印象も変わりますよね。また、「母語力を制する!」自分の一番欠けている点で地球より大きな課題に感じますが、毎日意識しながら少しづつ伸ばしたいと思います。包さんのお話しされる言葉一つ一つがとても綺麗で丁寧で、包さんの柔らかい雰囲気そのもののような気がしました。最後に下記、包さんのブログをご紹介頂きました。いろいろな視点から書かれていて、とても勉強・刺激になります!テンナインにも温かいメッセージを頂きました。有難うございました。
URL(http://blogs.yahoo.co.jp/bao_bao_cj/59326074.html


Vol.7 人は心に思い描いているとおりの人間になれる

【プロフィール】
安藤チャンめぐみさん Megumi Chang Ando
中国上海出身。中国華東師範大学理学部化学専攻 入学。卒業後、東京大学大学院農学生命科学研究科修士課程入学、1993年に卒業。その後、外資系製薬会社に入社し、マーケティング企画部、海外営業部に所属する。退職後、フェローアカデミー綜合翻訳科フリーランスコースとISS通訳研修センター英語専修コース(上級)を修了。2004年にフリーランス通訳翻訳となり、翌年3月にマーブルズ株式会社を設立。日中友好交流関係に貢献するビジネスを目指し、通訳翻訳の枠にとらわれない日中間のビジネスを開拓中。

pro-091202(1).jpg

Q 安藤さんが語学と深くかかわるようになったきっかけを教えてください。
? 中国の大学で、化学を専攻していました。卒業して更に研究を続けるためにアメリカの大学院へ行くつもりでしたが、日本のほうが色々な手続きもスムーズだったので東京大学の大学院へ入学し、そこで食物ホルモン(発見できるとノーベル賞を貰えるような研究!)の研究をしていました。もともと、アメリカの大学院へ行くつもりだったので英語は勉強していましたが、日本語はあまりしていませんでした。ですから、大学院へ入学する前に3ヶ月間日本語学校へ通いました。
キャリアを積みたかったので卒業後は外資系の製薬会社に入社し、マーケティング企画部、海外営業部へ配属になりました。ここでの仕事は環境にも恵まれただけでなく仕事自体も本当に充実していました。
産休後、復帰したのですが、子育てをしながらの総合職復帰は肉体的にかなりの負担を強いられましたので「子育てしながら、ずっと続けていける仕事は何だろう」と考えた結果「語学の仕事」だと思ったのです。これが、私にとって語学と深くかかわっていく最初のきっかけでした。

Q いつごろから翻訳通訳を職業にしようと思われたのですか。
? 幸いにも、時間が少しありましたのでまずは翻訳学校のフリーランスのコースへ通い日本語のスキルアップを図りました。次に通訳の学校に通い、そこでは英語のスキルアップを図りましたね。その後、IT系の会社で輸出担当として2年ほど勤め、2004年からフリーランスとして通訳翻訳の仕事を始めました。フリーになって間もなく、友人の紹介でテレビ局での中日通訳の仕事を頼まれました。それ以来、各局の報道番組、外報部などの中国ニュースの通訳翻訳を担当するようになり、通訳翻訳以外にも編集、ロケ取材と幅広く対応するまでになりました。もうその頃にはこの仕事が楽しいだけでなく、通訳翻訳の魅力や奥深さにどんどん惹かれていきましたね。

pro-091202(2).jpg

Q 通訳翻訳の魅力をもう少し具体的にお話しいただけますか。
? 私にとって通訳翻訳の魅力は、三つあります。
まず、一つ目は毎回新しい発見があり、その発見から学びがあり、その学びからチャレンジしようという気持ちが生まれることです。同じ仕事は二度ないのが通訳の仕事です。つまり、毎回初心に立ち返って仕事に臨むのですが、毎回本当に新しい気づきがあり、そこから学ぶことがたくさんあります。
二つ目は、色々な能力が鍛えられることです。それは、即戦力、リサーチ力、臨機応変に対応する力、判断力、そしてコミュニケーション力です。他にも色々な能力が鍛えられているはずですが(笑)通訳をしている現場では本当に色々なことが起こり、スピーカーも様々ですので毎回自分の能力を全部使って仕事をしていますが、それが鍛えられていくことが本当に楽しいです。
三つ目は、言葉の奥深さを知ることができるところです。通訳をするということは、スピーカーの口から出る言葉を単に訳すのでは、もちろんありません。その人の表情、口調、目の動きなどをきちんと見て感じ取ったことも含めてその人の言葉を通訳します。それが正確に相手に伝わった時に、言葉の力の大切さ、奥深さを本当に思い知ります。まさにその瞬間は通訳の大きな魅力です。

Q通訳翻訳のお仕事をされながら、会社も設立されていますが、そのお話しもお伺いしてよろしいでしょうか。

? はい。自分がフリーランスで通訳翻訳を始めてからたくさんのお仕事の依頼をいただくようになったと同時に、お断りしなければいけない時も出てきましたので全てをきちんとビジネスとして成り立たせたい!と思い、2005年にマーブルズ株式会社を設立しました。同じような仕事をしている私の周りにいる中国の人たちとも色々な繋がりを持ちながら、日中の架け橋になれるような、また架け橋として貢献できる何かを通訳翻訳の枠に捉われずに、会社としてやっていくことを目指しています。それにはまず、草の根レベルですが、日本人と中国人がお互いを知ることから始めなければいけないと思っています。会社を設立してまだ年数が浅いですが、起業セミナーにも積極的に参加して色々な事を学び、会社を通して日本人と中国人が解り合い、それが大きな何かに育っていけば国同士のレベルでいい友好関係が絶対に作れるはずです。

Q そんな安藤さんの今後の目標や夢を是非お聞かせください。
? 今お話ししたことの続きになりますが、自分が女性で仕事をしてきていますので、それを活かして、日本のキャリアウーマンと中国のキャリアウーマンが直接交流を持てる場や機会を作っていきたいですね。そして、そこでお互いがコミュニケーションをとり、理解し始め、そしてお互いを深く解っていければ、と思っています。これは絶対に実現したい目標ですね。そして、もう一つの目標ですが、それはいつか中国へ何かの形で貢献、恩返しのような気持ちでしょうか、それがしたいです。
現在、在日中国人は帰化した人も含めて約80万人います。一人一人は大海の一滴のような小さな存在です。でも、小さな存在だからと言って自分一人が毎日何かをがんばってどうなる?と思うのではなく、 − 今自分がやっている日々の積み重ねが10年後、20年後の自分を作ると思って、私はそう思って毎日を生きていますが、− そういう気持ちが私一人だけでなく在日中国人みんながそう思っていけば大海の一滴は必ず"大海"になります。そしてその"大海"は日本から中国へ流れ、大きな力となって中国へ何らかの貢献や恩返しができるのです。また、私たちはそうしなければいけないのです。
私はイギリスの作家で哲学者のJames Allenの著書「As a Man Thinketh」(邦題「原因と結果の法則」)という本が好きで、その中に出てくる言葉「人は心に思い描いているとおりの人間になれる」は特に大好きなんです。ただ、好きなだけではなく、私はその言葉は実現できることだと思っています。人は絶対に自分が思っているような人間になることができます。
ですから、大海の一滴であっても、今後のなりたい自分を描いて日々努力すれば必ず大海になれます。

Q 最後に翻訳者・通訳者を目指している方へ是非アドバイスをお願いします。
? はい。アドバイスと言いますか、、、、話が少しそれますが実は私篤姫が大好きなんです。篤姫は「女の道は一本道!」とよく言っていたそうなのですが(笑)
通訳翻訳者の道も「一本道」だと私は思います。「なる!」と決めたら覚悟を持って通翻訳者の道を進むだけです。そして、「決して努力を惜しまないこと」です。私は翻訳通訳の未来は明るいと思っていますので是非がんばってください。

編集後記
「バランスのいい方」だと強く思いました!短い時間でのインタビューでしたが、四川大地震、中国という国の光と影、日曜学校でのボランティア、大好きな篤姫など硬軟織り交ぜて本当にたくさんお話しいただいたのですが、どれも全て「安藤イズム」が注入されていてエネルギッシュだけど折り目正しく、ユーモアもありました。チャーミングな人とはこういう人のことをきっと言うのでしょうね。人として女性として本当にお手本なります!ありがとうございました。


Vol.6 河本佳世さん「人と人との懸け橋になる仕事」

【プロフィール】
河本佳世さん Kayo Kawamoto
中国北京生まれ。高校までを北京で過ごし、筑波大学に留学。卒業後、日本で就職し大手商社に勤務。仕事と両立させながら通訳学校に通う。現在、中国語通訳業・翻訳業の他、NHK国際放送中国語アナウンサー、サイマル・アカデミー中国語通訳者養成コース講師、大妻女子大学非常勤講師、中国語ナレーターとしてもご活躍中。

Q.なぜ、留学先として日本を選ばれたんですか?
 1960年代に起きた中国の文化大革命で、私の両親が大変苦しい思いをしました。その経験もあり、両親は出来るならば子供に海外で勉強させたいという思いが強かったです。私自身も海外に興味がありましたので、まずは行く前の力試しのつもりで北京の大学を受験しましたがやはり海外で勉強したいと再認識しました。それで親に相談し、留学する事に決めました。正直に言うと、アメリカに行きたかったのですが、まだ当時18歳だったので両親の心配もありました。そこで、親戚もいて親近感のある日本に行くことにしました。私は理系ですので、日本の大学でもバイオテクノロジーを勉強しました。実はまたアメリカ留学を諦めていなくって(笑)日本の大学を卒業したら大学院はアメリカに行こうと思っていました。

Q. どうやって日本語を勉強されたんですか?
 日本への留学が決まってから、大学で日本語を勉強している人に家庭教師になって教えてもらいました。約半年くらい特訓してもらいましたが、難しくて全然覚えられませんでした(笑)。結局何も分からないまま日本にやってきました。私は国からの奨学金もありませんでしたし、当時の中国は決して裕福ではなかったので、語学学校に通いながらすぐにマクドナルドでバイトをはじめました。当時は留学生が珍しかったようで、一緒にバイトをしていた子も同じ学生だったので毎日日本語を教えてくれたんです。昼間は学校で勉強して、夜はバイト先で実践して行くうちに日本語を覚えていきました。やはりもっと早く、もっとたくさん友達と話したいという気持ちが大きかったですね。

Q. 日本語を勉強する上で、一番難しかった事はなんですか?
今でもそうですが、「て・に・を・は」の使い方を覚えるのに一番苦労しました。国立大学に受験するために、必要な日本語検定1級は取りましたが、実際に授業(生物化学)で必要な理系の固有名詞を覚えるのがとても難しかったです。もちろん中国でも有機化学は勉強しましたが、全部漢字に直してあるので、中国語で覚えた専門用語から日本語が連想できないんです。最初は本当に気合いを入れて、授業でも一番前の席に座って先生を見ていたんですが、先生が何を言っているのか全然分からなくて10分経たないうちに寝てしまったんです。それで「寝るなら、一番後ろに座れ!」と怒られました(笑)。
ただ、やはり留学生が少ない分、周りからとても親切にしてい頂いて、同級生の友達もたくさんできたのでとても恵まれていました。本当に楽しい大学生活でした。

プロはここが違う第28回(1).jpg

Q. 大学卒業後はアメリカの大学院を目指されていたとの事ですが、いつ頃から日本に残る気になったんですか?
 筑波大学は教育大学ですので、4年生の時に教育実習にも行って、理科の教員免許をとりました。また、卒業の時には日本がバブルの最後の時で日本経済がすごく良かったですし、友達もたくさんできて、日本の事が大好きになっていたんです。このまま日本で働いても面白いなと思うようになりましたし、日本の会社で働いてみて、もう少し日本の事が知りたいという気持ちに変わりました。

Q. お仕事はバイリンガルとして語学を活かして就職されたんですか?
 いいえ、大学で勉強した事を活かし最初は医療機器会社に研究職として入社しました。新人研修がまず大阪の本社で始まりましたが、研修中にいきなり秋田に異動させられ、中国から来た研修生のお世話をしながら私自身も急遽秋田で研修に入ることになったんです。そのまま6ヵ月間秋田にいました。その間、中国から来た研修生のお世話の中で通訳もしましたし、ホームシックにかかった子達を色々な所に連れて行ったり、餃子パーティーをしたりと、大学生のノリのまま(笑)で凄く楽しかったです。結局6か月の研修を終えて、その会社はやめてしまいました。研修の後は研究所に戻り毎日白衣を着て仕事をする予定でしたが、半年間中国人研修生との意思疎通のお手伝いをする業務をしてきたので、もう少し'対'人間の仕事がしたいと思うようになったんです。たまたまその時に大手商社よりお声掛けを頂いて、そのまま転職しました。そこでは食料本部に配属されて中国担当として仕事を始めました。

Q. 通訳・翻訳者になろうと思ったのはいつ頃からですか?
 商社で働いていた時、業務の一環として社内の通訳翻訳を沢山しました。ただ、実は私はそこまで日本語を専門的に勉強した事が無かったので、初めて翻訳した時に先輩に真っ赤に書き直されました(今でも記念にとってあります)。その時に初めて言葉の難しさを肌で感じました。その先輩に一対一で日本語を教えてもらい、出張報告など、書類も全てチェックして頂いてビジネス日本語も覚えていきました。職場でも本当に恵まれていましたね。入社して半年くらいで、中国出張に行って初めて通訳業務を担当させて頂きました。その頃仕事を通じて知り合った方に、もっと通訳の勉強をしたいのならば、と通訳学校を紹介して頂き、土曜日のクラスに通い始めました。また、1994年は日本が米の不作の年で、海外から緊急輸入する事態になりました。商社1社では出来ないので、当時の食糧庁と商社会で現地に行って交渉したりした時も、第一線で駆り出されました。その時に、バイリンガルの大先輩や各組織のトップの方たちのお仕事ぶりを見て現場で覚えました。結局、総合商社の食料本部には7年間在籍していました。その中で営業、投資関係、輸出入と商社の仕事を一通り経験させて頂きました。そのうち、人と人との懸け橋になって意思疎通のお手伝いをした方が充実間や達成感を感じ始めたんです。その頃から通訳者としての独立を考え始めました。

Q.通訳の魅力を教えてください。
 100%ではありませんが、自分の好きな時間に仕事が出来る。色んな分野の仕事が出来て、色んな方との出会いがある。そしていろんな勉強が出来るのが通訳の醍醐味です。また、仕事が終わってから「有難う」、「通訳さんのおかげでうまくいった」とクライアントに言われた時は本当に嬉しいです。
商談通訳の場合などは、交渉する両者が厳しい交渉を経て、最後握手で終わった時は、成功したな、良かったなと思いますね。少しでもニュアンスが違うとかみ合わなくなってしまうので、そこは通訳者の力量だと思います。一方、同時通訳の場合は、特に質疑応答の時などは、原稿がなくどんな質問が飛び交うかが分かりませんので、特に専門性の高いものはQ&Aがうまくいった時は本当に安心して達成感を感じます。

プロはここが違う第28回(2).jpg

Q. 通訳の難しさは何ですか?
 先日の仕事で、講演者が「おバカキャラ」という言葉を使った時に、初めて来日した中国人大学生はおバカキャラを知らないので、原稿になくてもその背景も付けて通訳をしたんです。そうしたらスピーカーの方から「君の通訳は長いね」と言われました。私は原稿になくても、きちんと相手に伝えたい、行間の意味まで理解してもらいたいと思って通訳をしていますから、その点は本当に難しいですね・・。
 
Q.今後の夢や目標を教えてください。
 まだまだ通訳者として一人前ではないですし、経験も浅いですので、日々勉強して、一流の先輩通訳者を目指して一歩一歩前進して行きたいと思います。普通のお仕事ですと、毎日の仕事の積み重ね、成果で評価してもらうことができますが、通訳の場合はある意味で、100%出来て当たりまえと思われがちです。 100点から減点法で評価され、最後に何点残っているかが最終評価になってしまいます。100点はまだまだ見えない目標ですので、減点要素を減らせるように日々努力して行くしかないですね。

プロはここが違う第28回(3).jpg
【河本さんが翻訳をした本】*年末年始に缶詰め状態で大変な苦労をされた一冊です。

Q. 通訳・翻訳者を目指されている方へのアドバイスをお願いします。
 1つは、好奇心を持つことが何よりも大切だと思います。色々な事に対してこれはなぜ?と思うことが大切で、それがないと勉強しても身に着かないですからね。2つ目に、通訳者は浅く広くと言われますが、やはり自分の得意分野を持つことが大切だと思います。この分野なら私に任せてください!と言えるような分野があったほうが強いと思います。
また、教える立場で生徒さんたちを見ていて、読書量が少ない気がします。これは私自身にも言えることですが、語学を勉強する上で文字をたくさん読むことが大切だと思います。

プロはここが違う第28回(4).jpg

【河本佳世さんの七つ道具】
*すべて赤で統一。中国では年女が赤を付ける風習があるようで、河本さんも急に赤を集めはじめたとの事。
■電子辞書
■手帳
■ノートパソコン
■DS(漢字検定のお勉強用)
■シャーペン付き四色ボールペン(優れもの)
■携帯

編集者後記:
 あまりにも綺麗な河本さんの話方に、質問する自分が恥ずかしくなりました。そしてその緊張で更にメチャクチャな日本語に・・。大学生活や商社でバリバリ働かれていた時のお話も聞き、まさに誰もが憧れる強く賢い女性という印象でした。私も河本さんのように素敵な女性を目指して頑張ります!まずは日本語の勉強からでしょうか・・・。


Vol.5 毛淑華さん「私にしかできないこと」


【プロフィール】
毛淑華さん もう・しゅくか
中国武漢大学外国語学部卒業後、来日。筑波大学大学院地域研究研究科在籍中、中国語通訳・翻訳者としての活動を始める。大学院修了後、企業の中国室に勤務し、広報及び展示会での通訳等を経験。2003年より、フリーランス通訳・翻訳者として活動中。主にマスコミ関係の通訳を得意としている。

葉に対する関心は昔から強かったのでしょうか?
そ うだと思います。私が幼い頃は、まだ今ほどおもちゃもなく、かといって私自身は外に出て遊びまわるタイプでもなかったので、毎日ラジオを聞いていました。 当時は、ラジオ番組の種類もそれほど多くなく、物語の朗読や地方劇番組ぐらいしかありませんでした。毎日同じ内容を放送していたので、そのうちに覚えてし まって、親を相手に一人芝居をしていました(笑)。今から思えば、無意識とはいえ3歳頃からこんな風に耳を鍛えていたので、言葉に対しての興味は強かった のではないかと思います。読書も好きで、字が読めるようになると、片っ端から自宅にあった本を読んでいました。
中学校から日本語の勉強を開始されたと伺いましたが。
中 学校に入るまで、外国語に触れたことがありませんでした。中高一貫教育を行っている外国語専門の学校を受験してみないかと先生に言われ、省の統一試験を受 けたんです。そしたら、たまたま合格してしまって(笑)。二次試験では、各外国語の試験があるんですが、私はどの言語も全く話せませんし、ましてや今まで 耳にしたこともないわけです。よって、英語もドイツ語もフランス語もロシア語も全滅。さすがにこれはダメだろうと思っていたら、最後の日本語試験の時に、 先生が「私の言ったことを真似してください」とおっしゃったんですよ。真似すると、今度は「あなたは歌が好きですか? 」と聞かれました。「好きです」と 答えると、何か歌ってみろというわけです。戸惑いながらも歌うと、結果は合格でした。
そんな具合なので、もしタイムスリップして、当時の私に今の自分の様子を見せたらびっくりするでしょうね!
実際に日本語を勉強してみていかがでしたか?
め でたく日本語コースへの入学を許可されたわけですが、ここでかなり鍛えられました。いわば、英語の代わりに日本語を勉強するわけで、国語、数学、化学等の 授業はもちろんありますが、圧倒的に日本語のコマ数が多かったです。当時、日本語がブームだったこともあり、毎週土曜には、テレビで日本語講座を放送して いました。いつも楽しみにしていて、週明けには皆で「昨日はこういう話だったよね! 」と盛り上がっていました。また、普段の授業だけでは飽き足らず、ク ラスメートとは日本語で会話してみる、という何とも恥ずかしいことをやっていました(笑)。「今日はどこへ行きましたか? 」、「何を勉強しましたか?  」という具合に。若かったからできたことでしょうね。ここでは合計6年間勉強しましたが、卒業する頃には、大学生二、三年生ぐらいの日本語力がついていた と思います。
大学でも日本語を?
そ うなんです。12歳で日本語コースに入ったことで、その後の人生のレールが敷かれたような感がありました。大学生になる頃には、当然のように「私は将来日 本語を使って仕事をするんだ」と思っており、それに対して何の疑問も感じていませんでした。実は、高校生の頃、アンカーウーマンに憧れていて、放送系の大 学もいいなぁと思ったこともあったんです。ただ、地元に残れという親の意見と、高校の先生に「専門的な訓練を受けていないから無理でしょう」と言われたこ とで、あぁそうかとあっさり諦めてしまいました(笑)。
在学中に、通訳者デビューされたとか?
大学3年生の夏休みにガイド兼通訳のアルバイトをしました。実際に日本語を使って仕事をしてみたかったので、日本語クラスの先生に相談したところ、国際旅行社でのインターンを薦められました。ここで、夏の間中、ガイドとして働くことになりました。
 ある時、日本人グループによる中国インフラ調査のガイドをすることになりました。政府関係の仕事なので、会議には中国政府が用意した通訳者と、日本から 同行している通訳者がついたのですが、グループディスカッションの際に通訳が足りなくなったんです。「ちょっと毛さん通訳してください」と声がかかり、迷 う暇もなく正式に通訳デビューしてしまいました(笑)! 自分では、それなりにできたと思っていたんですが、後で「ものすごく緊張していたでしょう」と言 われました......。大学生の身分で、しかもこんな大きなところで通訳をしていいのだろうかと思いましたが、考えてみれば、周りは誰も私が学生だなんて知らな いんですよね。すごくラッキーだったと思います。あの夏は、たくさんの日本人にお会いし、たくさんの感動を味わい、あぁこれを仕事にできたらいいなと思い ました。
大学卒業後に初めて日本に?
は い。外国語を勉強していると、誰でもいつかはその土地に行ってみたいと憧れるのではないでしょうか。私も例外ではありませんでした。実は、高校1年生の 頃、交換留学プログラムに応募したんです。自分も周りも、絶対に私が選ばれると信じて疑わなかったんですが、ふたを開けてみたら、選ばれたのは先生のお気 に入りだった男の子。ものすごくショックでした。学生の頃は、ひどい人見知りで、あまり上の人から可愛がられるタイプではなかったので仕方ありません。で も、これを機に、「チャンスを与えてもらうのを待つのではなく、私は自分の力でチャンスを勝ち取らなければいけないんだ! 」と思ったんです。それから は、「絶対に自分の力で日本に行ってみせる」と決意し、大学生になってからはアルバイトの鬼と化しました(笑)。悪い生徒ですね。
初めての日本の印象は?
普 段日本で生活していると、何とも思わないことかもしれませんが、道端に咲いている花の美しさには感動しました。「あぁ、野花ってこんなに透明感があったの か」と。今は違いますが、当時の中国では、道路わきの花や緑が埃をかぶってくすんで見えたんですよ。草花の色はくすんでいるものなんだと思って22年暮ら してきたのですが、日本に来て一気に考えが変わりました。
 また、もう一つ忘れられないエピソードがあります。大学の授業が始まる数日前に日本に着いたので、寮の申請も間に合わず、最初はホテル滞在となりまし た。初めての一人暮らし、初めての日本、とっても寂しかったです。ホテル内のレストランは高いので、仕方なくコンビニでお弁当などを買って食べていまし た。びっくりしたのが牛乳。当時の中国では、牛乳は温めて飲むもの、という認識だったので、私も当然のごとく、ホテル備え付けの湯沸し器に牛乳を入れて温 めていました(笑)。そしたら焦げてしまって泣きそうになったんですが......。今ではパックに入った牛乳は、中国でも普通に見られますが、当時日本で初めて 見た牛乳パックは衝撃的でした。ほんの10年前なんですけどね。
生の日本語に触れた感想は?
日 本に来る前から、自分の日本語力にはある程度自信を持っていたんです。大学院での授業は全て日本語でしたが、特に問題もありませんでしたし。でも、先日、 久しぶりに大学院時代の友人に会ったら、「毛ちゃん、随分日本語上手になったね! 」と驚かれたんです。これって、どういうことでしょうか(笑)? じゃ あ当時はダメだったのかとちょっとショックでした。大人になってから、随分おしゃべりになったので、日本に来てからは上達も早かったのかもしれませんね。
日本語で面白いなと思う表現の一つは、何でもかんでも「かわいい」と言うこと。他に表現がないのかなというぐらい、何に対しても使いませんか? それか ら、「うそー? 」という言葉。中国で勉強していた時には耳にしませんでしたし、最初これを聞いたときは、「嘘じゃないよ、ほんとのことだよ! 」と真剣 に答えていたことを思い出します。こういった言葉の感覚は、やはり現地に住んでみないと分かりませんよね。
大学院在籍中にも、通訳のお仕事を?そして、卒業後にフリーランスに?
夏 休みには、IT関係企業の中国室で働いていました。主に、通訳・翻訳を担当しました。卒業後、そのまま就職しないかと言われたので、社内通訳ではなく営業 部に配属して頂きました。何となく、敷かれたレール通りの人生を歩むことに反発を覚えていた時期で、通訳だけしかできない人間にはなりたくないと思ってい たんです。また、昔あんなに憧れていたはずの日本で働いていても、何となくやりがいを見つけられない自分に葛藤を覚えていたのも事実です。でも、じゃあ私 には何ができるんだろう、って考えたときに、やっぱり通訳・翻訳しかなかったんです。避けてきた時期もありましたが、結局自分が生きられる道はそこしかな かったということに気づいたんですよね。それからは、通訳者として生きてみよう! と決心し、エージェントにも登録し始めました。少しずつお仕事を頂くよ うになり、それまで経験した社内通訳・翻訳とは異なり、フリーランスになってからの方が仕事を楽しんでいる自分に気がついたんです。社内だと、せっかく一 生懸命通訳・翻訳をしたとしても、担当者がちらっと見て、あぁこういうことね、分かりましたと言って終わることもありました。でも、フリーランスは、仕事 への対価が明確なので、自分の仕事に誇りを持つことができます。仕事の成果も実感できます。今は、フリーランスになって本当によかったと思っています。こ んなに毎日楽しくていいんだろうか、というぐらい。
今までで印象に残っているお仕事は?
中 国の女性アーティストグループの通訳です。専属通訳者のような形で担当させて頂き、全国ツアーやファンミーティングにも同行しました。私がMCをやること もあったんですよ! 以前、ファンとの握手会があり、メンバー全員が一列に並んでファンを迎えました。私は後ろに控えており、通訳が必要になったら呼ばれ るという具合でした。すると、ファンの中から「毛さん」と私を呼ぶ男性の声が。何だろうと思って前に出ると、私に四つ葉のクローバーの携帯用ストラップを くださったのです。何が起きたのか分からず、ぽかんとしていると、もうその方はいなくなっていました。私にも幸運を分けようとしてくださったその気持ちが とても嬉しかったです。通訳は黒子だと言われるように、特にアーティストについていると、注目を浴びるのは彼らであって、私は存在しないも同然なんです。 その男性は、もしかしたらツアーなどで私が通訳している様子を見ていてくださったのかもしれませんが、あぁこんな風に評価してくださる人もいるのだなと感 動しました。それからは、お守りのように携帯につけていつも持ち歩いているんですよ。何だか足長おじさんみたいですよね?
今だから話せるハプニングは?
中 国でガイドをやっていた時のことです。最初は地元の案内だけだったのですが、ある時上海に行くことになりました。その時ガイドをしていたグループの一人 が、体調を崩して日本に戻ることになったため、飛行機チケットが一枚余ったんです。「毛さん、彼の代わりに上海に来ませんか? そこで通訳してください」 と言われ、二つ返事でOKしました。本当は空港でお見送りするはずだったんですが......。無事に上海での通訳を終え、最後に皆さんとお別れする時に、その中 の一人が、幸運の印として777円を私に下さったんです。「これは、日本ではとてもおめでたい数字なので、是非とも受け取ってください」と。クライアント から個人的にお金を受け取るのは禁じられているので、断固として拒否していたんですが、どうしても受け取ってくれというので、「これは中国では使えません よね? そしてお金ではなく、幸運の印として私に下さるということでよろしいでしょうか? 」と、しつこいぐらいに強調して、頂くことにしました。そのク ライアントとは今でもお付き合いさせて頂いていますが、あの時は「変な通訳者だなぁ」と思ったことでしょうね(笑)。
日本では通訳学校にも通われたんですね。
当 初予定はしていなかったんですが、あるコーディネーターさんに「もしフリーランスでやっていきたいのであれば、一度学校に行ったほうがいい。それも含めて 『経験』とみなされるから」と言われたんです。そんなに言うなら行ってみるかと。でも、行ってよかったと思っています。それまでは、スキルにはある程度自 信はありましたが、自己流でやっていたので、きちんとした通訳メソッドを教わることができたのは非常にいい経験でした。中国人の先生だったのですが、日本 語・中国語ともに素晴らしく、先生の話が聞きたいがために毎週通ったようなものでした。
毛さんの強みは?
コ ミュニケーション力、サポート力でしょうか。これまで、自分のパフォーマンスにはある程度自信があったんです。でも、ある時からマスコミ関係の仕事が増 え、自分の通訳が電波にのるようになった時、また、日本人の通訳者と組むことが増えた時に、気づいたことがありました。もしかしたら、いくらがんばって も、所詮私が話す日本語は、外国人の話す日本語なのだろうかということ。例えば、同じ内容を日本人が中→日に通訳したとしたら、多分私は勝てないだろうな と。日→中であれば、絶対に負けないのに、とくやしくてたまりませんでした。一時、それですごく落ち込みました。そんな時に、エージェントの方に「大丈 夫、あなたは本番に強いじゃない」と言われ、あぁそうかとその一言で開き直りました。誰だって何もかもが完璧なわけではありませんし、私にだってプラスの 点があるはずだって思ったんです。日本語は、今後も更なるブラッシュアップを心がけますが、私だからこそできることがあるんじゃないかと思うんです。通訳 後に、「毛さんと一緒に仕事ができてよかった」とおっしゃって頂けたら、それで万々歳なんです。通訳者とは、単なる言葉の置き換えだけでなく、総合的に判 断されるものですから。
1週間のスケジュールは?
週 の半分以上は仕事が入っています。通訳、翻訳と半々ぐらいでしょうか。もちろん、英語の方ほど毎日仕事があるというわけでもなく、無いときは2週間ぐらい 仕事がないこともあります。そんな時は本当に不安になって、「あぁ、みんな一斉に、毛淑華はもう使えない」って思っちゃったんだろうか......と怖くなります (笑)。逆に、仕事が重なるときは、どうして? というぐらい同じ日に何件も依頼を頂くのですが。時間が空いた時は、映画館や書店めぐりをします。本はよ く買いますし、映画は朝に一本、午後に一本というペースで見ることも少なくありません。
今後のキャリアプランは?
履 歴書をご覧になって頂ければお分かりになるかと思いますが、これからの私の課題は英語です。このままでは自分でも納得できないので、何とかしないといけな いなと思っています。将来的には、英・中・日と三ヶ国語でお仕事ができればいいなぁと思います。ただ、今の状況では集中して他の言語を勉強するのも難しい ので、もう少し落ち着いたら、英語圏に長期留学してみたいですね。語学は、その国で学ぶのが一番早いでしょうから。今はまだ、一ヶ月お休みするのも精神的 に落ち着かないので、もうちょっとキャリアを積んで一人前になったら必ず!
もし、通訳・翻訳者になっていなかったら?
本を読んだり、何かを書いたりすることが好きなので、もし外国語系に進んでいなければ、記者になりたかったかもしれません。
七つ道具と現在読書中の本。
これから通訳・翻訳者を目指す人へのアドバイスをお願いします。
自 分に対しても同じことを言いたいのですが、「引き受けた仕事は、一つ一つ丁寧にこなすこと」です。料金・内容・仕事の難易度に関係なく、全て同じ気持ちで 取り組むべきです。どんなに小さい仕事でも、その積み重ねなんです。例えば、ボランティアだから、このくらいでいいだろうとは思わないこと。
 次に、諦めないこと。フリーランスになったばかりだと、毎日仕事が来るわけではありませんし、いきなり大きな仕事はまわってきません。エージェントに登 録しても、最初は何ヶ月も依頼がこないこともあります。でも、そこで諦めないこと! そして最後は、仕事を楽しむことです。これが一番大事かもしれませ ん。
 また、日本で中国語を勉強している方に少しアドバイスを。自分の経験からも言えますが、読み書きだけではなく、耳や口を使った勉強が大事だと思います。 大学生の頃、先生が日本語のラジオを録音したテープを皆に配ったことがあったんです。ランダムにいろんなラジオ番組が入っていたのですが、とにかくこれを 聞いてみなさいと先生に言われました。夏休み中そのテープを聞いていたのですが、目からは情報が入ってこないし、スピードがとにかく速く、最初は全く理解 できませんでした。でも、とりあえず毎日聞こうと思って流していたら、ある日急に悟ったような瞬間があったんです。それがすごく嬉しくって! 語学って、 こういうことの積み重ねだと思うんですよね。分からなくても、同じ内容を何度も何度も聞いていれば、今日1つしか分からなかったことが、3日後には10個 分かるようになっているかもしれません。そして、最後はそれが100個になるんです。何年も勉強していると、語彙力はついてきます。ただ、それが読み書き だけになってしまわないよう、自分の耳と口も使って確認することが大事です。文字と音が自分の中で一致する瞬間、これで初めて記憶した、と言えるのかもし れません。

編集後記
日 本人と普通に話しているのと変わらないぐらいの日本語力なのに、「日本語がコンプレックスです」とおっしゃったときには正直驚きました。でも、このプロ意 識の高さが、毛さんという素晴らしい一人の通訳者を作り上げているのだなと思います。はじけんばかりの笑顔に触れて、私も元気になりました!
毛淑華さんへメールを送る


弊社から転送させていただきます。
件名には「●●様」と宛先人を明記してください
内容によっては転送できませんので予めご了承ください


2 次 》


↑Page Top

Usefulお役立ちコンテンツ


お仕事情報
お仕事情報
通訳・翻訳お仕事Q&A
通訳・翻訳お仕事Q&A